保健師を語る

対談「私のトリセツ交換会」
稲吉久乃さん 西田小百合さん

西田小百合さんのインタビュー収録と同日、2023年6月10日、私のトリセツ交換会の対談を行った。ご登壇いただいたのは川西市の保健師西田小百合さんと、中野区の保健師稲吉久乃さんだ。

2023-11-14

この対談に至った経緯

西田小百合さんのインタビューで印象的だった「私のトリセツ(取り扱い説明書)」だが、重症筋無力症と闘いながら中野区で保健師として働く稲吉久乃さんも、職場で「私のトリセツ」を配っているという。それをお二人に伝えたところ「一度一緒に話してみたい!」と編集部にリクエストいただき、西田小百合さんのインタビューの後にこの対談収録が実現した。対談はZoomミーティングで行い、地域保健ネットサロン会員の方にも傍聴参加してもらった。お互いのトリセツを読み意見交換をしてもらったが、そこから見えてきたものは何だったか——。

ここに1時間の対談記録を公開する。西田小百合さんのインタビュー「保健師は人が人生のカーテンを開ける瞬間に立ち会える仕事」を先にお読みになることをおすすめする。

(編集部:聞き手、司会)

「私のトリセツ」中野区の稲吉久乃さんの場合

編集部
前半の西田さんのインタビューに続き、中野区の保健師、稲吉久乃さんに加わってもらい、後半の対談「私のトリセツ交換会」を行います。
西田さんのトリセツは前半のインタビューで皆さんにも見ていただきましたが、稲吉さんも職場で配っているご自身のトリセツがあると伺いました。稲吉さんにトリセツをお借りしたのでご紹介します。

みなさま  いつもお世話になっております。 この機会に私の病気についてお伝えしておこうと思います。私の病気は重症筋無力症という自己免疫疾患で、2004年から闘っています。 ここで、自己免疫疾患という病気の説明をします。免疫というのは外から入ってきた細菌などと闘うためにある仕組みです。自己免疫疾患のひとは、この免疫が大暴走しており、自分の体を攻撃してしまいます。私の大暴走免疫は、私の筋肉と神経との接合部を攻撃しています。そのせいで、非常に疲れやすく、常に倦怠感、脱力感、急な脱力などがあります。その他、右まぶたが下がったり、飲み込みが悪くなったりします。昨年からは呼吸筋に症状が出て、睡眠時に呼吸が出来なくなり、酸素を吸入しても血中酸素飽和度が低くなって、起きてしまう状況で、1時間~2時間おきに目が覚めます。  ここ数年、年に二回~三回、重症筋無力症の治療のために入院しています。みなさまの尊い献血で作られた免疫グロブリンという血液製剤を点滴で多量に入れ、そのことで私の大暴走免疫を追い出すという治療です。それを5日間行った後、一日置いて、3日間のステロイドパルス療法をします。これは通常5mg口から飲んでいるステロイドを、一日に1000mg点滴するというものです。ステロイドは、なんで効果があるかわからない「鼻くそ丸めて万金丹」みたいなお薬です。それを多量に点滴することで、とにかく体をびっくりさせるという治療です。びっくりさせるとなんかいいことあるんじゃないかと言う訳です。  この治療はかなりハードなので、腎機能やすい臓に負担が掛かります。元々腎臓もすい臓も具合悪いので、かなり辛い状態になります。ということで、治療自体は2つ行っても、10日間なのですが、後少し療養し、足のリハビリも行って2週間以内で退院となります。  ここ3年程、微熱が続いており、調べたところ、これも何らかの自己免疫疾患と言われています。この自己免疫疾患はまだ病名がはっきりしないのですが、恐らく膠原病系のものではないかと言われています。そのほか、慢性膵炎にもなっていて、食事をすると数時間後に上腹部痛が出るという症状もあります。 今でも本当にご心配ご迷惑をお掛けしていますが、とりあえず、職場に来て動いている間は大丈夫ですので、よろしくお願いいたします。 2022年4月8日 稲吉久乃

稲吉
こうしてみると西田さんのトリセツと違って、私の場合は取り扱い説明書としては“職場に来て動いている間は大丈夫”ということくらいしか書いていませんね。私は人から「大丈夫? 大丈夫?」と聞かれ過ぎるとやりづらい部分があります。心の中で(大丈夫 って言ってるじゃん)という気持ちがあってもそんなことは言えないので「ありがとうございます」と言っています(笑)。そんな気持ちもあり、トリセツには「とにかく動いてるから大丈夫」というメッセージを込めています。西田さんのインタビューでは、「遠慮と配慮は違う」とお話がありましたが、私もそこに共感しました。

私が西田さんにもうひとつ共感しているのは「病気を正しく理解してほしい」という気持ちです。西田さんの場合は、失語症は全国に50万人いることを知ってほしいというのがそうですね。
私の病気は重症筋無力症、名前が長いのできょうはMGという略称を使いますね。MGの人はこんな感じと分かってもらえるといいなと思いがあり、私のトリセツの中では長々と自己免疫疾患の話をしています。私のトリセツ、と言いながら、これはもうMGのトリセツになってしまっていますが……。病気のことを正しく知ってほしいというのが保健師らしい点と言われればそうかもしれません。

西田
稲吉さんのトリセツは、ポイントポイントでホッとするような病気の症状の紹介があり、工夫して書かれたことが伝わってきました。

編集部
きょうの収録会は、保健師以外の方も参加されています。職場でトリセツを配る場合はさまざまな職種の方が対象となるため、なるべく専門用語を控えて難しくならないようにという配慮もあると感じました。ちょっと面白いくだけた表現も使っていますよね。ステロイドパルス療法の「なんかいいことあるんじゃ」の部分などもそんな工夫なのかなと思いますが、トリセツ作成のときに意識されましたか。

稲吉
そうですね。あとはステロイドパルス療法は効果が出る人もいますが、私の場合はこの療法を開始した2004年から、実は一度も効いたという実感がないんですよね。MGは感染症や風邪などと違って、一度治療してハイ終わり、ということはない治療が難しい病気ですが、とりあえず大量にステロイドを投入して体をびっくりさせてみることで、いいことが起こるかもしれないという期待を込めて、そんな自分の心持ちもトリセツに書いてみたところもあります。

戻りたいと思える職場、またやりたいと思える仕事

編集部
編集部が西田さんの存在を知ったのは2022年8月。地域保健の座談会に傍聴参加された西田さんからこんなメールをいただいたからです。

「座談会で聞いた“保健師はどこにいても保健師”という言葉に、自分が保健師だという誇りと、“市民が幸せに笑う”ために貢献できることを幸せに感じています。保健師の使命感が沸々と湧いてきます!」という力強い文章の下には、ご自分が受けたテレビ取材の動画リンクがついていました。

「子どもの名前も言えなかった」脳梗塞で『失語症』となった女性…
“私のトリセツ”作り職場復帰「失語症でも笑って過ごすことができるよ」
https://youtu.be/aOuOl_jYEFc(YouTubeMBS NEWS)

保健師の仕事が好きで職場に戻りたいとリハビリに励む西田さんを見て、病気と付き合いながら働いている稲吉さんにも見てほしくてすぐに知らせたのを覚えています。そのとき稲吉さんからもらった返信がこちらです。

編集部
ここから冒頭でご紹介した稲吉さんのトリセツにつながります。稲吉さんは病気になったことでもともと所属していた部署から異動されたのですね。

稲吉
そうですね。私は病気で休む前は保健所にいて、ちょうどSARS(重症急性呼吸器症候群)が日本に入ってくるかどうか盛んに報道されていた頃、健康危機管理マニュアルを作ったり机上訓練をしたりと結構ハードな仕事を担当していました。また、その当時は地区担当が結核の管理までしていたのを保健所一か所にまとめようという立ち上げ部隊でもあったので、いま思えば恐ろしく忙しい部署でした。大好きな仕事でしたが、そこで病気になってしまい、2年間の休職をすることになりました。職場復帰することになりましたが、職場の人事部門からも免疫が落ちている人に結核や感染症の仕事をさせられないと言われ、私自身も元の職場には戻れないだろうと思っていました。2008年4月、犯罪被害者の相談支援窓口ができると聞かされたのはその頃でした。具体的に何をするのかも分からなかったし、どこにもまだモデルとなるような自治体はありませんでした。西田さんのトリセツにもワクワクという言葉がありましたが、私としてはものすごくワクワクしてすぐに「行きます」と返事をしました。いやいやの異動でなかったのはすごくラッキーだったと思います。

西田
稲吉さんにひとつ質問ですが、しんどいときに「しんどい」と言える職場環境ですか?

稲吉
私はもともと「しんどい」とあまり周りに言ってこなかったかもしれないです。先程紹介してもらったメールにも通じますが、職場復帰したときは初めての仕事に就いた1年目の私だったわけです。しかも、犯罪被害者支援で関わるといえば、これまでとは違って弁護士や警察、裁判所など、初めてで知らないことだらけの分野の人たちでした。何より相談に来所される被害者の方たちに、私の体や病気のことで気を遣わせるわけにはいかないと、抱え込んでしまうようなところがあったと思います。
でも、犯罪被害者の相談窓口という日本ではそれまでほぼなかったものをつくりあげてきたという自信がついてくると、自分がめちゃくちゃ頑張ってしんどいだけで終わらせるのではなく、次の世代にも引き継げるような息の長い活動にしていかなきゃ、という気になってきました。そうなってやっと、周りの人に「なんか瞼が下がってきたよ」とか「声が出なくなってきたな」とか、ちょっとつぶやいてみて入院が近いことを気づいてもらったり、いまちょっとつらいな、というのも伝えたりできるようになりました。

西田
だんだん周りを頼れるようになったんですね。ありがとうございます。

病気、障害が目に見えやすいかどうか

稲吉
ただ私の場合はいくら気を遣わせないようにと思っても、ネックカラー(装具)をつけたり歩行器を使ったりしているからすぐ分かってしまいますけどね。坂の上にある裁判所への付き添いのときなどは、スタスタ歩けなくて相手に心配させてしまうのが申し訳ないですが、この病気のおかげですぐに顔を覚えてもらえるという点ではちょっと得していると思うこともあります。

編集部
目に見えやすい病気、障害かどうかという話題も出てきました。失語症も見た目に気づかれにくくて大変だとよく聞きますが、稲吉さんは飄々と、淡々と静かにお話される印象のせいか、装具や歩行器を使うこと以外の、症状の過酷さまでは見えづらい点があるのではないかと思います。
稲吉さんとは以前地域保健にご執筆いただいてから数年のお付き合いがありますが、今回対談の打ち合わせをする中でいただいた日々の記録、症状のことなど初めて知ったこともたくさんありました。犯罪被害者支援のお仕事は体力的にも精神的にも大変ハードで気が抜けないお仕事だと思いますが、稲吉さんからお借りした写真を紹介します。

重症筋無力症の症状として全身倦怠感があったり呼吸・嚥下困難があったりするほか、シェーグレン症候群などの症状もある。発熱もあり、38度台になることもしばしば。慢性心不全もあり、もともとのMgの症状での息苦しさもある。

呼吸が苦しくて長い時間眠ることができず起きてしまう。枕元に置いた紙に起きた時間をメモし、朝はそれをノートに書き直して記録している。

編集部
こうして伺ってみると、お二人ともトリセツに書ききれないことがたくさん出てきますね。職場の人たちにとってもどう接していいか分からないために一歩引いてしまう「遠慮」があるのかもしれません。でも周りに遠慮させてしまっていると感じると、実はそれも少し寂しいこと、悲しいこと、つらいことではないかと思います。前半の西田さんのインタビューの中でも、トリセツ文章の行間にある気持ちを、「ワクワクすると書いたけどそれは本当の気持ちではなかった」とか、「ゴミ箱を蹴飛ばしたら…という表現は、暗に片づけておいてねという意味」なども教えていただきました。トリセツで全てを表すのは難しいですし、トリセツを書く側、読む側それぞれの立場や思いがある中で、少しでも歩み寄れるきっかけになれば、働き方や職場の環境づくりでお互い気持ちよく仕事に取り組めることにつながるのではないかと思いました。

少し脱線しますが、弊社は自治体が住民さんに配るパンフレットを出版している会社です。今回お二人のトリセツを、保健衛生部署で職場の環境づくりやメンタルヘルスケアを中心に担当している編集者にも共有させてもらったところ、偶然にも「こころのトリセツ」という名前のパンフレットを作っていた最中で、お二人のトリセツに刺激を受けていました。作成中のパンフレットは自分の気持ち、心をどのように捉えてセルフケアするかという内容なので、同じトリセツといっても違いがありますが、例えば病気や障害の有無にかかわらず「自分のトリセツを作ってみよう」とか「自分にはこんな特性や考え方がある」と表明する役割のトリセツもあってもいいのではないかと、新しい企画のアイデアが湧いたようでした。その点でも担当者に代わりお二人のトリセツの存在に感謝申し上げます。

車椅子利用者は看護職の資格を取得できるか(話題提供:中村舞斗氏)

編集部
さて、収録会場からの質問をチャットで書き込んでもらっている間に、この対談が実現するきっかけを提供してくださった方が実はもう一人いらっしゃるのでご紹介します。

以前本誌インタビュー「ピープル」でお話を伺った中村舞斗さんです。中村さんも現在難治性の病気である関節症性乾癬と闘っている方で、普段の生活では車椅子を利用されています。

◎NPO法人虐待どっとネット 中村舞斗さんインタビュー(地域保健2022年3月号)記事
https://www.chiikihoken.net/wp-content/uploads/2022/04/net_nakamuramaito.pdf

中村舞斗さんインタビュー

中村さんは看護職の資格取得を目指して入った大学の授業で、ご自分が虐待を受けたときのフラッシュバックを起こし、それがきっかけでその道はあきらめざるを得なかったそうです。しかしいろいろな活動をしているうちに、看護職の資格取得に再挑戦したいと考えるようになったと、インタビュー写真撮影のときにお聞きしました。しかし車椅子では実習ができず、資格取得も無理ではないかと指摘を受けたのだそうです。

編集部でその話を伺ったとき、現在看護の資格取得を目指している学生さんも、事故や病気を理由に諦めなければならないのだろうかと疑問がわきました。

実際に看護の現場で働いている方の中にも、少数ですが車椅子の看護師さんはいらっしゃいます。資格取得後に車椅子を使うことになっても看護職として働けるのに、なぜ資格取得前は認められないのだろうか。仕事内容は制限される部分もあるかと思いますが、中村さんが話していたように患者さんのベッドサイドでできることや、職場の協力があればできる仕事があるのではないかと。
編集部では機会あるごとに車椅子で看護職の資格を取れないものかと大学教員をしている保健師さんたちに質問してみましたが、多かった回答は「難しい」または「大学の方針によるのでは」でした。絶対に無理というわけでなければ、何か方法や道があるのではと、病気を抱えながら働いている稲吉さんにもよく相談していたのです。ですから、西田さんの存在を知ったときすぐに稲吉さんと中村さんにお伝えしました。

稲吉
ベッドサイドでちゃんと患者さんの話を聞くというのは、看護ではものすごく大事なことだと思います。私が入院するときの病院の看護師さんは、点滴の針を刺して点滴の袋をぶら下げたらすぐ帰ってしまうような人が多いせいか、手間をかけさせてはいけないような気になり、自分も看護職だからと尿や便の回数を記録したり熱をはかったり、さらには血圧を測って体重も記録して……とやってしまっていました。看護の仕事で患者のバイタルサインを記録するのはもちろん重要なのですが、決してそれだけではないと思っています。例えば患者さんに触れて、熱いねとか寒いねとか声をかけたり、大丈夫かどうか気遣ったりというのは、患者さんのそばに行くから分かることです。私は自分が入院している病院で、これまで1回も病気になってどんな気持ちかなど聞かれたことがありません。鼻チューブで栄養を取っていた時期もありますが、そのときでさえ、何だかとにかくやりこなさなきゃみたいな圧のようなものを感じていました。前半の西田さんのインタビューでは、入院して言葉が出なくて夜になると泣いたとおっしゃっていました。私は病院では泣いたことがないですが、なぜかいまになって時々泣いてしまうことがあります。なかなか表に出せない気持ちを聴くのも、いや、そんな気持ちを聴くことこそ、看護職の仕事じゃないのかと毎回入院するたびに思います。車椅子に乗って、病棟の中をパタパタ走り回ることができなくても、何か自分の中に痛みを持っている人、そういう人こそきちんと患者さんの話を聞くことができるのにと思うと、必要な人材を逃しているようですごくもったいないですね。思いだけで何か動くわけではないですが、本質的な看護を見つめ直すようなムーブメントが起こるといいなと祈っています。

傍聴参加の方のご感想・質問など

編集部
ここで傍聴参加の皆さまからご感想をいくつかいただきましたので紹介します。

[感想]
私も職場で自分のトリセツを配りました。それをきっかけにいまの働き方を続けてはいけないと休職に至っています。前の職場でもトリセツを共有してもらえたらよかったなと思いました。それなら仕事を辞めずに続けられたかもしれないと思いました。

[感想]私も指定難病のキャリアです。確定診断を受けていないために職場に配慮を求めるのが難しかったです。難聴と腎機能の悪化がありますが目に見えず苦しいものがあります。

編集部
質問もいただきました。これはお二人からそれぞれお答えいただけますか。

[質問]
ご病気によって、身体的速度に変化が出ていると思います。例えば、自動車に乗って動いていた毎日から、歩いて、時には立ち止まることもあるという意味です。歩く、立ち止まるからこそ、花の香りや風の動きも感じるようになるかもしれません。そのようなご自身の速度変化が、出逢った利用者さんなどに与えたと思えるような影響はありますか?

稲吉
私の場合は病気になったことでの変化はありますね。少し説明が難しいのですが、私の歩く速度がゆっくりだったり見た目にネックカラーや歩行器を使ったりしていることで、相談窓口に来られる利用者の方からは、私のことを元気でピンピンしている人ではなく、何か自分の苦しみを分かってくれる人かも、と感じてもらえている気がします。あまり求められていることの答えになっていないかもしれませんが。西田さんはいかがですか。

西田
私は速度が落ちたと感じます。関西人はもともと歩行が速い人が多いので余計にそう感じます。速過ぎてそれにはついていけていません。でも昼間は高齢者が多いのでゆっくりペースが合うと感じられるようになったと思います。私は電車に乗ってフロントガラスに自分の姿が映っているのを見たとき、最初は自分の姿勢にショックを受けました。でも慣れてきますね。慣れるというか、まぁこれも自分かと受け止められるというか。

編集部
ご病気になったからこそ気づいたというようなこともおありなのではないかと思いました。また、専門職の皆さんはどうしても支える側という意識があるかと思いますが、それだけではなくて支えているつもりの住民さんに反対に助けられたり教えられたりというご経験もされているのではないかと思います。西田さんから教えてもらった20代の頃の、老人保健の機能回復事業に従事された際、住民さんとサツマイモの苗の植え付けをしたお話を紹介してもいいでしょうか?

西田
どうぞ。

編集部
西田さんは苗の植え付けの手伝いに行ったつもりが、反対に農作業経験がある高齢者から「保健師さん、こうやるんだよ」と技術指導をしてもらったそうです。その関わりから、作物の生育や作業の技術だけではない、社会や人としての考え方までを学ぶ機会を得たとおっしゃったのが印象的でした。住民さんとの関り方も、若い頃といまと比べると変化してくるのかなとサツマイモのお話を思い出しながら聴いておりました。ご自分の速度の変化が住民さんとの接し方にも変化をもたらして、こちらに返ってくるものも変わってくる。そんなことが出てくるのでしょうね。

ちなみに西田さんは結婚のアドバイスまで住民さんにしてもらったと聞いています。

西田
はい。「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」と言われました。

編集部
住民の方に背中を押してもらったということですね(笑)ありがとうございました。
さて、もうひとつ。西田さんと初めてやりとりしたのは、2022年8月、保健師さんの休職や退職をテーマにした公開座談会収録でしたが、そのとき収録にご参加いただいたある保健師さんのご意見もきょうの話に関係しそうなのでご紹介させてください。

保健師である自分が職場の環境づくりや体制などについてもっと話せていたら、仲間は辞めずに済んだのではないかという告白が、その後もずっと心に残っていました。先ほどの会場からのご感想にも、職場で病気のことを共有できていたらという言葉もありました。稲吉さんがおっしゃったように、経験の浅い保健師が職場でSOSを出せるかということにもリンクすると思い、皆さんの職場にも、声なき声がないか、考えるきっかけにしてもらいたいので共有しました。

[感想]
覚えていてくださってありがとうございました。病休から退職した先輩保健師との関わりにモヤモヤを抱えていた自治体保健師です。きょうのお話を聞いて西田さんや稲吉さんのようにトリセツづくりを提案して手伝ってあげられたかもといまあらためて思っています。

編集部
もうひとつ質問が来ています。こちらはいかがでしょうか。

[質問]
トリセツを職場で共有し復帰した後、そのトリセツをアップデートすることはありましたか。また、実際に同僚や上司らとやり取りする中で、「こうして欲しい」「これはどう?」と一緒に働くに当たって相手からの助言や要望はありましたか。

西田
私は更新していません。職場の同僚は人事異動で変わるので新しく来た方には課長からトリセツを回覧してもらっています。相手から何か提案されるよりも、自分から課長には定期的に面談をしてもらい仕事の状況や身体のことを相談し、合理的配慮のサポートをしているパートタイムの方に来てもらい、自分の苦手なところをやってもらうようにしました。

稲吉
小さなアップデートですが毎年度トリセツを更新しています。職場からの意見というのは自分の場合、直接言ってくれる人はあまりいないですね。
自分の職場のことではないのですが、さっき教えてもらったパンフレットのことをちょっと考えていました。病気や障害の有無によらず、それぞれの人にきっと一緒に働く人に知っていてもらいたいことがあるんじゃないかという点です。やっぱり私は保健師なので、個々の話だけじゃなくそこから地域に広げる、周りにつなげるというのにすごく関係する話だなと感じました。私や西田さんの場合、もちろん配慮してほしいことはありますが、実はそれだけにとどまらないのがトリセツじゃないかなと。別にいま言う必要はないけれど、周りに知っていてもらいたいこと……。例えばすごく小さなことでもいいんです。「お腹が空くとイライラします」とかでも。一人一人が言いたいこと、知っていてもらいたいことが、特別に病気や障害のある人だけの特権ではなくてみんなもあるよね、という見方がすごく優しい気がしています。そういうパンフレットを実際につくることができるのか、課題もあると思いますが実現するといいですね。ものすごく意義深いことをおっしゃったと思います。

編集部
ありがとうございます。もし一人一人がトリセツを持つとしたら、これまで面と向かってお二人のトリセツに意見する事はしなかった方も、機会があれば知っていてほしいことなどを伝え合うことができるかもしれませんね。そうしたツールを弊社で作るには、商品開発に向けて社内で乗り越えることがいくつもありますが、高く設定してもらったハードルも越えていけるように頑張ります。きょうは地域保健ネットサロン会員の方向けのイベントとして、このような収録会に多くの方にお集りいただきました。せっかく保健師をはじめさまざまな職種の方が所属の枠を超えて話し合える場ですので、今後も皆さんと世の中に還元していけるものをつくれればと思います。

[感想]
「分かってほしい」となると重いですが、「知ってほしい」は自分が開示したいことだからいいと思いました。

[感想]
職場で言いたいこと、知っていてほしいこと、「みんながあるよね」という点で生きやすくなる社会のお話にハッとしました。お二人とも回答をありがとうございました。

編集部
きょうは西田さんと稲吉さんのお二人に、お互いのトリセツを交換して話し合ってもらおうというところから始まり、収録会にご参加の方からもご感想、ご質問をいただき、最後はみんながトリセツを持つことで生きやすくなるかもという話題にまで広がりました。

保健師の皆さんは、住民さんとお話しするときに「あなただけに特別聞いているのではなく、皆さんに聞いています」ということがあると思います。特別に病気や障害のある方に限らず、みんなが少しずつ自己開示しあうことで、理解が得られやすくなり、お互いに気持ちよく関われるというのは、いろいろなところで応用できることかもしれません。稲吉さんのトリセツの言葉をお借りすると「なんかいいことあるんじゃないかな」と期待しています。

(後日談)

収録終了後のトークでは、お二人とも「直接会いたいね!」と盛り上がっていました。西田さんは兵庫県川西市にお住まいですが、夏休みにお一人で東京にいらっしゃると聞き、お二人の写真撮影を東京で行うことに。

カメラマンから「最高の笑顔」を求められた二人ですが、対面で話すのが初めてとはとても思えないような写真が撮れました。そのワケは……。

 【西田さんのスベらない話:「1週間に1回」】
ドクターと私の受診のときのエピソードがあってな、
Dr「便の方は順調ですか?」
私「(服薬しなかったら)週に1回の分娩しています」
Dr「(真顔で)それは大変ですね」
私(あかん“はいべん”と“ぶんべん”を間違えた! ドクターはどっちを大変と言ったんや!)
笑いが止まらない私にさらに
Dr「はいべん ぶんべん……。似ている言葉ですね(真顔)」
再度 私の笑いのツボを押したもんで診察室から会計と薬局の場で笑いを止めるのに精一杯だった。
(踏ん張ってきばるは同じだったとしても、漢字もひらがなも違うやろ!)

資料集

地域保健では、創刊以来多くの失語症の患者さんへのケアについて情報をお届けしてきました。しかし、今回西田さんとの関わりで、直近で失語症の情報を掲載したのはいつかさかのぼってみたところ、ここ20年近くは誌面で大きく取り上げることがありませんでした。ここは編集部として反省すべき点として、最近の失語症に関する情報、重症勤務力症の情報を提供します。皆さまからの情報提供、ご協力もお願いできれば幸いです。

『失語症からの言葉ノート
聴く、話す、読む、書く、楽しみながら言葉がつながる』

著者:能勢邦子(コトコ)1650円(税込)判型:A4 頁数:60頁
https://shitsugo.com

脳卒中などで失語症になったら、真っ先に手に取っていただきたい、失語症のかたのための書き込み式ノート。父が失語症になった実際の体験をベースに、多くの失語症家族を見てきた「NPO法人日本失語症協議会」の方と、「言語生活サポートセンター」の現場の言語聴覚士の方々に協力を得て、試行錯誤しながら作成したと聞いている。著者は、雑誌「アンアン」の元編集長としても広く知られる能勢邦子さん。

◎特定非営利活動法人日本失語症協議会

https://www.japc.info/

失語症等の言語障害者団体(主に失語症者・麻痺性構音障害者とする)並びにこれに賛助する団体及び個人によって組織し、失語症者等の障害者への福祉・医療・保健等の向上に向けての活動並びにこれに必要な事業を行い、同障害者言語機能回復や社会復帰を図り、また、その生活の向上と社会参加の促進を図るべく、種々の活動をし、福祉の充実・増進に寄与することを目的として1983年に発足した会。

◎言語生活サポートセンター

https://gengoseikastu.jimdo.com/

言語生活サポートセンターは、言語訓練に特化した通所型自立(機能訓練)施設です。失語症のある仲間が互いに励ましあい、一歩ずつ前に進んで行けるよう、スタッフ一同、よりよい言語生活を営み、周りの人たちと豊かな人間関係を築き主体的、自立的に充実した生活ができるように応援します。

お一人お一人のご希望(就労など)とライフスタイルに応じた訓練を行います。主役はあくまでも、失語症のある皆さんご自身です。失語症の仲間と経験豊かなスタッフと共に新しい明日を創って行きましょう。
失語症以外の言語障害についてもお気軽にお問い合わせください。

◎医療ではわからない脳損傷者のその後のリアル
月刊「脳に何かがあったとき」

NPO法人Reジョブ大阪
https://re-job-osaka.org/

脳卒中や交通事故による脳損傷はある日突然起こります。 ついさっきまでは当たり前だった日常が奪われる不条理と、そこからの再生をインタビューを通して描きます。 「リハビリは終了ですよ」と言われて退院した人たちの、医療も福祉も知りえないリアルをお伝えします。
2021年から、失語症や高次脳機能障害の方が退院して仕事に戻ったときに、何に困ってどんな工夫をしたのか取材をしてきました。 2023年4月号からは元anan編集長の能勢邦子さんのお力を借りて全面リニューアル。紙面デザインも一新し、見やすく読みやすくなりました。 ぜひ、一度、お読みください。

★2023年6月号で西田小百合さんのインタビューも掲載されました!

◎重症筋無力症の患者さんとまわりのみなさんへ(アレクシオンファーマ)

https://mgsource.jp/

重症筋無力症の患者さんとそのご家族の方向けサイトです。2023年9月15日に、重症筋無力症の患者さんにご自身のMGストーリーをお話いただいた「患者さんストーリー」が公開となりました。

収録を終えて—参加した方からのコメント

最後に、収録会にご参加いただいた方からのご感想も紹介します。

◎倉谷 嘉広さん(イオンコンパス株式会社/ことばをつむぐ会 副会長)

私も2020年3月会社で脳出血を起こし失語症を発症しました。1年9か月で復職を果たし、失語症患者と共にカラオケコンテストを企画。講演やSNSでの情報発信活動を通じて失語症と高次脳機能障害の理解・啓発を推進しています。
収録会は西田さんに紹介してもらい参加しましたが、ほかの病気の方のお話から、生活リズムをどうやってつけていくのかを教えてもらうことができ、自分にとっても力になりました。

◎田中義之さん(兵庫県言語聴覚士会 会長)

西田さんらしさが「めっちゃ出とったな」と思いました。復職のとき、僕は直接担当のSTではなかったですが、西田さんには絶対復職せなあかんからってずいぶんお尻を叩かせてもらいました。きょうはMGの方のお話も聴けてよかったです。僕はSTだからコミュニケーションのことを専門にしていますが、ご病気を持った方とのつきあいは学びも多いと思います。こういうことを啓発していくことも大事だなと西田さんの川西失語の会もお手伝いさせてもらっていて、これからも一緒に歩んでいけたらなと思っています。
失語症の方だけとか、ご自分の地域だけなどに限らず、いろいろなところに広がっていくのはありがたい。今日は聴くだけの参加となりましたが、すごくいい会でしたね。私で協力できることがあれば言ってもらえればと思います。

 

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