保健師を語る

「春の光のように」
土屋裕子さん

千葉県横芝光町の土屋裕子さんは、医療や相談の資源が少ない地域において発達障害児支援のシステムを構築した功績などにより、2013(平成25)年に母子保健奨励賞を受賞しています。土屋さんが後輩保健師に伝えたいこととは。

2017-09-21

継続は力なり

年に一度、町の住民健診で会う人々がいる。40歳からの健康づくりに取り組んだ当時から30年以上経た今年も70歳を超えて健診を受けに来てくださったご夫婦。また、10年以上担当し高齢者施設に入所した精神障害のケースのご家族からは、入所後10年経つ現在も元気にしている様子を伺うことができた。先日は、窓口に訪れた母と娘に対応した保健師から、娘さんが乳幼児のころ保健師にお世話になったと私の名を告げられ、十年余り経つ娘さんの成長した姿を私も自席から拝見することができた。
保健師として私が後輩たちに伝えられることはたいしたことではない。誰にでもできる「続けていく」ことである。保健師活動の醍醐味の一つは、支援したことが十数年経った後に地域からフィードバックされることであると思う。しかし、続けていないとその恩恵は受けられない。
保健師団体の研修会で講師を務めた際、会場から「土屋さんのモチベーションを維持する原動力は何ですか」と唐突に質問され、答に詰まったことがある。当時の私が出した答は「住民からありがとうと言われたこと」であった。そして、今もこれ以上の答はまだ見当たらない。

専門職、行政職としての壁も

保健師活動は感謝されるものばかりではない。相手によかれと信じて行った保健指導が反発を買い、上司を伴って住民宅に謝罪に伺ったこともあった。また、退院後訪問していたにもかかわらず突然入水して亡くなったケースや、家族が相談に来て初回訪問したのに翌日自殺していたケースなど、保健師としての自身の判断に苦悩した経験も数多くある。また、町職員として他市への人事交流や、隣町との市町村合併という荒波にもぶつかった。管理職となってからは、行政職として法務や財務など専門以外の実務経験が事務職より少ないため、困難を伴うことが多く、情けない思いに駆られることが数多くある。しかし、それでも私は保健師を続けている。

人を照らす光、人から受ける光

今、私は、大学院で地域看護システム管理学を専攻し、職場の理解を得て、実践の効果検証を行うべくプロジェクトに取り組んでいる。歩みは遅く、現場主義の脳から、論理的思考の脳に変わるまでには程遠いが、出来事(経験)を深く思考する絶好の機会をいただいている。これも保健師を続けてきたことで得られた経験であり、この先何ができるか楽しみである。
「永遠に春光」――これは、私が1年間人事交流で派遣された隣市から去る際に住民から贈られた色紙に添えられた言葉であり、自宅の机の前で私にそっと語りかけている。保健師という職が人に対して向ける光と、私自身が人から受ける光と、その両方を私は春の光のように感じている。そして多くの保健師にも春を感じるときがあることを伝え、長く活動を続けてほしいと願っている。
                            (横芝光町役場健康こども課主幹)

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