「ホームレスは住民か」
山本昌江さん
阿智村役場の山本昌江さんは、路上生活者の巡回訪問など、地域における健康格差に目を向け、住民のいのちと暮らしを守るための活動を続けています。
先日の台風では、自治体が開設した避難所でホームレスの受け入れを拒否したことが報道でも取り上げられました。
実はこの文章は、昨年別の企画のためにご執筆いただいたものでしたが、いま多くの方にお読みいただきたいテーマだと感じ、山本さんに許可を得て本コーナーに掲載したものです。
2019-11-13
ホームレスは住民か?
ホームレスは住民であり、地方公共団体から支援を受ける権利があり、地方公共団体(都道府県及び市町村の両者)は、支援をする責務があることは、ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法で定められているところである。その中の健康に関する支援については、行政保健師の役割であることは、言うまでもない。
<ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法>
第3条第1項
自立の意思があるホームレスに対し、安定した雇用の場の確保、職業能力の開発等による就業の機会の確保、住宅への入居の支援等による安定した居住の場所の確保並びに健康診断、医療の提供等による保健及び医療の確保に関する施策並びに生活に関する相談及び指導を実施することにより、これらの者を自立させること。第6条 地方公共団体は、第3条第1項各号に掲げる事項につき、当該地方公共団体におけるホームレスに関する問題の実情に応じた施策を策定し、及びこれを実施するものとする。
<日本国憲法>
第25条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。第15条2項
すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。第99条
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。
保健師の使命は医療費削減ではない
私個人の感覚だが、特定健診が始まって以降、成人保健に関して保健師が意識する対象が、住民=国保加入者と狭くなってしまったように思う。国が保健師に求める役割が医療費削減に偏重していく中、現場では、国保の医療費を抑えることが我々の使命だと真面目に考えている保健師が増えていくことに私は危機感を感じている。
元々国保料が高くなったのは、国庫負担を半分まで削減してきたことが主な原因であり、人口構成に伴う社会保障費が確保されていないことに問題があるにもかかわらず、医療費の高騰原因を国民の健康管理の怠慢や保健師の力量不足であるがごとく評価されることに、私個人は憤りを感じている。
医療費削減が保健師業務の評価になれば、高度医療を受けなければならない状態になった住民に対して、〝評価が下がる人″としか見なくなってしまうのではないか。また効率が優先されれば、予防効果の低い住民に対しては、支援対象から除かれてしまうかもしれない。そうなれば住民票のないホームレスの健康支援など本気で取り組めるはずもない。実際にそんなことがなくとも、保健師の内心の問題として私は危惧するのである。
路上生活者こそ、最も健康リスクが高く最も支援が必要な住民
今一度、公務員としての保健師とは、誰のために何をする人か、原点に立ち返ってみたい。パブリックヘルスナースとしての公衆衛生「(民)衆の生(命)を衛る」活動を取り戻そうではないか。私たち公務員は全体の奉仕者であって一部の奉仕者(国保加入者だけ)であってはならない。赤ちゃんからお年寄りまで、どんな保険に入っていようとも私たちの対象なのである。それがたとえ路上で暮らしていて住所がなくとも、実際に居れば住民なのだ。その人たちは、最も健康リスクの高い、最も支援が必要な住民なのである。
私が阿智村に来る前、ホームレスの巡回相談を仕事にしていたとき、好きで自らホームレスになった人など一人もいなかった。リストラや倒産など自己責任などと言える人もほとんどいない。皆仕事が欲しいと話す。働き者で優しい。そしてほとんどの人はもともと、私の働く自治体に住所があった人たちだった。どうして路上生活になる前に支援が入れなかったのかと、行政の頼りなさに愕然とした。ほとんどの人が役所に相談に来ていなかったのだ。
私たち保健師は、憲法25条の実現のために働いていることをいつの時も、どんな状況になっても、忘れないでいたい。そして、日本国憲法は、どんな法律より優先される最高法規であることを肝に銘じたいと思うのだ。
(阿智村役場保健師)
「保健師を語る」コーナー 第1回目の山本昌江さんの回もあわせてご覧ください。