ひよこアフター
月刊地域保健2008年4月号に登場した櫻井純子さん。この記事が掲載されるときには勤務先の与那国町を退職されるというタイミングでした。現在多方面で活躍されている櫻井さんの近況をお聞きしました!
櫻井純子さん(前:与那国町)
どこに暮らしていても、その人らしい人生を送れる社会を作っていきたい
離島の保健師活動にチャレンジ! 日本の最西端・与那国島での2年、その夢と課題
櫻井さんは神奈川県に生まれ、21歳の時に看護短大を卒業し看護師としての経験を積み、その後2001年の春から渡米、現地で語学を勉強しながら大学に2年通いました。2003年に帰国し、翌年春から慶応義塾大学の看護医療学部に編入し、2006年に保健師資格を取得。同年6月に人口約1600人の与那国町に保健師として入職。対象は小児から高齢者までの全住民で、定期・不定期の健康相談や週に数件の家庭訪問や介護認定調査、精神保健など幅広く対応しました。
与那国町にもともと縁があったわけではないという櫻井さんが、島の常識に慣れるまでは少し時間がかかったそうです。
例えば船が週に2回ほど、島に食料を運んできますが、海が荒れれば船も入ってこられず、自分で食料を確保する工夫が必要になったり、保健指導の技術は県の福祉事務所や職場の上司・同僚からサポートが得られても、島の住民としての心がまえや人との距離感などは、実際に自分で経験を積むしかありません。
そんな生活上の苦労に加えて、島の生活ではお酒を飲む機会と量が多く、島民の半分は肥満でしたが、周りも太っているから自分も大丈夫という人への健康支援には難しさを感じることもしばしばあったそうです。
しかし、櫻井さんが島で過ごした2年弱の保健師活動で得たものは非常に大きかったといいます。
島での経験から、保健師の基本能力は、年齢によらず対象者の持っている力を引き出すこと、そしてどこの配属になろうとも、その基本に返ればいいと確信できるようになったこと、役場以外の人たちとの連携がとりやすい点は、本島の保健師たちにうらやましがられるほどだったなど、島のよさも教えていただきました。
後に続く、島で働く保健師を目指す人には、勇気を出して飛び込んで来てほしいと語る笑顔が印象的な櫻井さんです。
保健師は、市民生活の要となる身近な医療職。
かつての自分の経験が現場の保健師の支援につながっていると感じます。(櫻井純子)
みなさんこんにちは。
与那国町の勤務を終えてからいつのまにか、もう10年以上も経っていました。
いまだに「あの雑誌に載っていた人だよね」と声をかけていただくことがあり、『地域保健』の影響の大きさを感じます。あのひよこも、最初の餌と環境がよかったおかげで、現在は保健師経験を活かしていろいろなところを飛び回っています。
今日はひよこのその後の様子をお伝えします。
与那国島から生まれ育った神奈川に戻った後は、へき地の関係者との交流が増え、自分が暮らしたい地域で住み続けられる保障がある社会は、暮らしの根幹を保障することになる、と気がつきました。それは、高齢化や人口減少が進む日本では、都市部も同様で、慢性疾患や障がいを持ちながら地域で暮らす人々が多くなる中、各々に合わせた看護や医療、福祉が提供されれば、暮らしたい場所で暮らし続けられる人が多くいたのです。
そこで、保健師は生活に身近な医療職として、市民生活の要となると考え、2018年に仲間とNPO法人へき地保健師協会を設立しました。それまで10年ほど、私たちは、個人的な繋がりを元に交流会を開催し、ネットも活用しながら都道府県域を超えて仲間づくりを行っており、就労相談を経てへき地に就職して行った方もいました。そのような活動を、へき地保健師の当事者であった私たちが組織的に行うことで、どこに暮らしていてもその人らしい人生を送れる社会を作っていこう、と4人の心がまとまったのです。
また、私は2015年から大学院で根拠に基づいた保健事業の実施方法を学び、ご縁があった離島で健康課題のニーズ調査を行った上で、現在は減酒支援を行っています。行政の保健師だったとき、一番もどかしかった事業評価から次の計画立案に至る方法が分かってきて、小さなPDCAサイクルを回す楽しさを、いま、現場の保健師の方たちのおかげで体験できています。また、へき地の保健師活動は、住民の方との距離が近く、実体験に基づきたくさんのことを学べる楽しさがあると、改めて感じています。
とはいえ、自分の住む地域も住み心地をよくしたい、と思い、祖母の家を「地域の居場所さっちゃんち」として、地域の方々の交流拠点とすべく定期的に催しを開催しています。祖母は2019年5月に慢性心不全にて希望通り自宅から旅立ち、私が最期を伴走した唯一の親族となりました。しかし、そのとき私はひとりではなく、看護小規模多機能型介護の方や24時間の見守りのために、多くの方が交代で来てくださっていました。祖母を通じて、看護職と福祉職の仕事の方法の違い、日常生活の中で看護職ができることなど大切なことをたくさん学びました。そして、なにより介護サービスに加え、地域に互助組織があれば、1人暮らしでも自宅で最期を迎えられる、という希望を見出せました。私の最期のときには、それが当たり前の社会となっているように、この体験をあちこちで話をしています。
6月にはNPO法人へき地保健師協会の総会・研修会を東京で開催します。へき地に興味がある方、地域の課題解決をしたい方、元ひよこを見てみたい方、など多くの方にお越しいただけましたら大変嬉しいです。お待ちしております! そして、あなたのまちにも飛んで行きたいです!
NPO法人 へき地保健師協会 公式サイト
https://hekichi-hokenshi.localinfo.jp/