藤本さんの講演旅行記

web版 講演旅行記-5 通算第23回
岩手県岩泉町(災害視察記)― 北海道大樹町情報も

2016-12-14

岩手県下閉伊郡岩泉町(しもへいぐんいわいずみちょう)。この地名は、そんなに有名ではなかった。が、今年8月30日、事もあろうか台風10号が東北を直撃し、大被害を受ける。その結果、しばらくは毎日のニュースに登場していた町だ。町の発表では2016年12月1日現在、亡くなった方19名、行方不明者2名、今なお避難している方が74名だそうだ。
詳しい状況は、以下「台風災害に関する最新情報」をご参照されたい。

http://www.town.iwaizumi.lg.jp/docs/2016090200020

リンクについては、元保健福祉課長で現在「台風災害復旧復興推進室長」をしている仲良しのOh yeah!さんの許可を頂いている。
台風が東北に直接上陸するなんて事は、普通、想定できない。更に北海道にまで大災害を惹き起こすとは、まったくあり得ない事態であった。
北海道の被害については、お会いした事は無いのだが、読者の一人で時々メールを下さる大樹町(たいきちょう)のK保健師の話も、最後に紹介しようと思う。

岩泉は過去の「講演旅行記」にも何度も登場している。1回目が2015年1月号と2月号、そして、2016年2月号が2回目、3回目はweb版の第1回に。つまり、過去に3回も行っているのだが、今年11月、4回目が予定されていた。
上記Oh yeah!さんは、2014年の9月に最初に伺った時の課長で、2015年1月号にこんな風に登場している。

保健福祉課長のO課長も挨拶に見え、
「Oと申します。英語風に言うと、『オ~、イェイ!』でございます」
と…。ほとんど実名を書いたようなもんだが、初対面だというのにこんな面白い課長さんは初めてだ。事前に私のプロフィールをお読みになっていて、こいつなら大丈夫だろうと判断されての事らしいが。

で、その講演の夜から、仲良しの飲み仲間になった。2015年9月、そして2016年2月にも行っていて、その度に異動したOh yeah!さんは懇親会に現れるし、現課長のSさんや保健師・栄養士・歯科衛生士、事務の男性Kさんなど、飲み仲間、遊び仲間が次々に増えて、岩泉は、私にとって、とても身近な町になってきていた。
2011年の3・11には特に海沿いの地域がかなりの被害に遭っているが、その復興がかなり進んで、仮設住宅の撤去さえ始まっていたところに、この台風である。講演どころではないんじゃないかな―と思って、むしろ復旧のボランティアに行きたいくらいであったが、体力的に自信がなく、時間的にも難しく、皆さんと仲良しなために、変なタイミングで訪問すると、かえって気を遣わせる可能性も考えて、動向を見守っていた。

10月、私の講演を担当しているHさんから連絡が来た。
「11月の高校での講話は予定通り実施する事としました。」
そう、今回は高校生相手の講演予定。今まで高校生相手は一度もないのだが、県立岩泉高校で「保健講話」として話すわけだ。
町の宿泊施設は避難所になっていたり、復興関係者専用になっていたりしているが、町の仕事という事もあってか特別に泊めてもらえる事にもなり、本来は役場の車が盛岡駅まで迎えに来てくれるのだが、私如きに人手を割かせては申し訳ないのでレンタカーを手配し、当日を待った。

講演当日の11月22日早朝、地震発生。関東でもかなり揺れた。福島県沖でマグニチュード7.3、最大震度5弱。そのおかげで朝のNHKは津波への注意連呼という事になってしまった。当然、東北新幹線も乱れている。しかし、どうしようもない。とりあえず自宅から浦和駅に向かい大宮に出て新幹線乗り場に向かう。予定では10時発はやぶさ11号→11:47盛岡着。そこから2時間弱の運転で岩泉入りして15時~講演なのだが、新幹線は結局1時間程度遅れてしまった。
13時にレンタカーで出発し、山を越えトンネルを抜け、ここに書く事が出来ないような運転で中年暴走族は走る。被災して崩落し、仮復旧中の川沿いの片側通行を抜け、悲惨な状況を横目で見ながら、何とか14:35頃に無事に町役場に着いた。

保健福祉課に向かう。いち早く私を発見したMさんが、にこやかに、
「お帰りなさい!」
と。う~ん、帰って来たのか、な…。でも、何か嬉しい。
HさんとMさん、新人保健師のSさんも一緒に道の向い側の岩手県立岩泉高校に向かう。普通科のみで全学年合計150名弱という小さな高校。寮もあって、数名が寮生活をしているらしい。
私の講演スタイルは頂戴したテーマで持ち時間の半分喋り、後半は白紙の質問紙に自由記述してもらって、それを読み上げながら回答するという方法だが、今回は時間が1時間余と短いので、事前にプロフィールとアンケート用紙を配布してもらい、アンケートの質問内容に答えるという方法をとった。人間関係、自分のこころの問題、ストレスについて、うつ病などについての他、どうしたら心理の道に進めるか、とか、好きな動物は何か―など、事前に出された70弱くらいの質問に応じて、無事終了。
皆、真面目に聴いてくれていた様子。

翌日、Hさんと元・町の保健師で今は養護教諭に転身した半弟子S子に、被災地を案内してもらった。
まずは何人もが亡くなった高齢者施設のあった乙茂(おとも)地区へ。
高齢者施設の横の裏手の川。

ショベルカーの向こうに、今は穏やかな小本川(おもとがわ)の流れがあるが、左のカタマリを見ると、なんと、車なのだ。

濁流に呑まれて、ゴロゴロともてあそばれたのであろう。
ここ、2回目の岩泉講演の翌日に、工場内を案内して頂いた「岩泉乳業」の裏側。(2016年2月号参照)。町の第3セクターで、特にそのヨーグルトは絶品。今回激しく被災したのは知っていたが、報道に頻回に出ていた施設の隣とは、気づいていなかった。

今はご覧の通り、随分片付いたが、玄関のひさしの部分をご覧頂ければ、そんな高い所まで被害が及んだことがわかるであろう。右後方に白いワンボックスが見えるが、その左方向が、さっきの車たちの場所だ。
次は、近くの「道の駅いわいずみ」。

ここでは、初回訪問時に、どんぐりラーメンを食べた。その時は、駐車場もほぼ満車で、なかなかの賑わいだった。そして、雑誌の方の「地域保健」の「保健師のための閑話ケア」の手配写真は、この建物の中で、町長たちと一緒に撮って頂いた写真の一部なのだ…。
今は、レストラン部門などの多くは閉鎖されているが、売店部分の一部だけで営業再開している。

ちょうど、この部分の一番奥あたりで写真を撮ったんだったなぁ…。

町にはかつて、駅もあった。震災よりもかなり前の土砂崩れで廃線となったが、その駅の近くに震災後の仮設団地ができていて、今また、その辺りに仮設があらためて設置されている。
その近くの橋に行く。

水面からはかなり高いのだが、橋のガードレールがなぎ倒されている。
正面にみえる平屋の家は、とても住めそうな状況にない。住民は大丈夫だったのだろうか。町なかも歩いてみたが、かろうじて2階で生活している感じだ。大工さんが足りなくて、修理が間に合わないとも聞く。これから本格的な冬を迎えるのに、この環境では健康被害が心配。
次に、この橋から直線距離で300mほど離れた町の商店街の一部に行く。
まずは被災直後に育休中のAさんが送ってくれた写真がこれ。

町の商店街に丸太がたくさん転がっている。実際にこの場所に立ってみる。川は左方向になるが、その場に立ってみると見えない。左下の方にあるはずの川が、当日はこんなに流木を運んできたのだ。
そこは今はきれいに片づけられている。

だが、ほとんど変わっていない場所もあった。町の中心部のこの辺から約20kmほど、更に上流に進んだ地域。さっきの写真を送ってくれたAさんの実家の近くだ。被災してしばらくしてからの写真がこれ。

これもAさんが送ってくれたものに私が線を入れた。川は、青い矢印の方向に流れている。この時点ではコーヒー牛乳のような色をした濁流。で、右上の黄色い平行線の間に見えるのが、橋なのだが、あれ、本当は手前の赤い線の間の所にかかっていた橋なのだ。写真中央あたりの流木の山が、おそらく橋にぶつかって、橋を移動させてしまったのであろう。
現在の姿がこれ。

濁流こそないが、橋も流木の山もそのままである。
そして、振り向いた所には…。

これ、あとで調べたところ、おそらくもう少し右手前にあった家の2階部分。流されて2階部分だけが電柱に引っかかって残ったようだ。住民は大丈夫だったのだろうか…。
言葉を失う光景がこんな風にあちらこちらにあった。

楽しい事もあった。が、今回は、被災者の皆さんが大勢いらっしゃる以上、「旅行記」と言うより、「視察報告」みたいなものとして、おさめておきたい。
帰路は峠道で雪に降られ、路面はアイスバーンになった。往路がこれだったら、絶対に間に合わなかっただろう。

帰りの新幹線は順調で、無事に大宮に着き、そして行きと同じく浦和で下車。そこで信じられない光景が私を待っていた(~□~;)!!

改札前の広場で、「いわて産直市」をやっていて、ナントその中央に「岩泉」のノボリまであるではないか…。少しでも地元でお金を使っておこうと沢山土産を買い、重い思いをしてここまで来たのに(ノ≧ρ≦)ノ
何とも言えないオチであった。

さて、もう一つの被災地、北海道にも触れておこう。大樹町、私は伺った事もないが、地図で見ると、北海道の下あごの東側といった感じの場所。十勝平野の一角か。台風被害の報道の中で、この町名を見て、聞き覚えがある地名と思ったら、最初に書いたように、読者のKさんが働いている町であった。お会いした事はない。
以前、雑誌のプロフィール欄で、読者の方に「気軽に連絡して欲しい」と呼びかけた事に反応して、相談室HPの「お問い合わせフォーム」からご連絡を下さった1人だ。あ、そういえば岩泉とのご縁も、最初は町のT栄養士からのそういった連絡だった…。う~ん、数少ない連絡をくれた読者の地元が、2か所も同時に被害に遭っていたのだ…。今回の台風に関わらず、熊本など、日本各地で様々な災害があるが、熊本などには私の読者が生息している事が確認されていないので、漠然とした心痛しか起きないが、少しでもご縁があると、気にかかるものだ。講演で日本各地とご縁ができ、こうした心配を感じる土地が増えている。
さて、そんなわけで、被災直後、Kさんにメールしてみた。
そのお返事が、これ。

「こちら大樹町では、橋が決壊したところや、川の上流で道路が寸断されたところ、水道が流されるなどの被害があり、昨日から断水が続いています。 こうなってみて、水の有難みを感じているところです。 元来、台風が上陸することのない北海道。この立て続けの台風、最後(と言いたい)の台風で限界が来たように思います。 今日はこれから、給水車と共に町内を回り、住民の安否確認をしてくる予定です。」

後日、写真も送って頂いた。

その説明文が、以下。
「被害の状況は写真の通りなのですが、川の上流で水道管が流され、断水の被害が1週間続きました。 それに伴う給水作業も町役場職員が行いました。 それと、橋が落ちたのですが、車1台が川に流されました。
橋が落ちるタイミングで通過したのか、橋が落ちているのを知らずに通ってしまったのか、それは不明です。

これ以外、農作物の被害による影響はご存知の通り。
他に、のどかな写真も送って頂いた。

「1枚目は、今年初めて大樹町で開催された音楽フェスティバル、「宇宙の森フェス」の1枚です。
フェス好きの女性(役場職員)が大樹町でも開催したい!と、約1年の準備期間を経て、開催致しました。ちなみに、「宇宙」とついているのは、 大樹町にはJAXAがあって、宇宙開発の拠点の1つにもなっているからです。」

雪景色は、通勤途中の風景と。さすがに北海道。もうすっかり真冬である。
岩泉ほど深刻な被害は残っていないようにも見えるが、それでも、何かしら残痕はあるはず。住民の皆さんに、一日も早く穏やかな日々が戻る事を祈る。

おまけ。

11月23日に埼玉に帰り着いた翌日、54年ぶりという雪が、東京や埼玉に降った。
前日、盛岡郊外で雪に降られ、市内の気温が5度くらいだったのが、そっくりそのまま埼玉にもやってきてしまった。
「冬を連れて来たね!」
と、言われたが、このタイミング、犯人は確かに私かも知れない(;^_^A
その翌日、徳川家ゆかりの川越の名刹「喜多院」の庭の写真を、仲良しの患者さんH君が撮って送ってくれた。雪に、紅葉に、松の緑。何とも不思議な、しかし、味わいの深い景色。日本はやっぱり美しいって思っちゃうような、素敵な写真だ。
この、ちょっと重たい報告の最後に、皆さんにもお見せして、報告を終わろう。

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