web版 講演旅行記-9 通算第27回
鹿児島県鹿児島市
2017-08-23
2017年度の最初の講演は、群馬県沼田市。沼田はこのweb版旅行記の3回目でも取り上げていて、3年連続3回目の講演である。今回は都合により観光をしないで、講演だけして帰ってきたので、旅行記としては書く事がない。なので、失礼ながら、省略させて頂く。ま、講演の前に、去年と同じ日帰り温泉には立ち寄ったけど。仕事だけしておとなしく帰るという事は、なかなかない┓(´―`)┏
で、表題の通り、鹿児島県鹿児島市である。前回講演が山口県山口市だから、明治維新の中心的存在の長州に続いて薩摩―。幕末の歴史探訪のようだ。
鹿児島は、県としては初めてではない。2016年に2回も伺った奄美大島が鹿児島県だからだ。でも、鹿児島県本土は、今回が生まれて初めての訪問である。離島から始まるというのも、初めてのパターン。
声をかけて下さったのは「公益社団法人 鹿児島県消化器がん検診推進機構」の保健師部会主催の保健師研修会。公益財団法人「鹿児島県民総合保健センター」の健康増進部次長、Yさんが窓口。私に連絡を下さる前に奄美の保健師からも情報収集していたらしい。
持ち時間が11時10分から昼食休憩1時間を挟んで16時まで―という、信じられない長丁場。
その上、研修の開催目的が、「鹿児島県のがん検診の向上並びに発展のため、関係者との連携を図るとともに、保健師の専門的知識及び技術を深め、がん死亡の減少に寄与することを目的とする。」のだそうで、およそ、私にはご縁のないテーマ…。
私の前には乳がんの専門の先生の講演もある。
場違いも甚だしい気がしたが、ご希望のテーマは「対人援助スキルを磨こう~関わり方と援助者の心得&保健師自身のメンタルヘルスケア~」
という、いつものような事だったので、ま、それならば、と、お引き受けした。
6月30日、羽田から飛行機。九州新幹線も乗ってみたいところではあったが、陸路で行くと、およそ8時間…。トシをとってくると、じっと座っているだけでもかなり疲れるので断念。
羽田が雨で、その影響もあって出発も到着も少し遅れる。
鹿児島空港には、小柄で真面目そうなYさんがお出迎え。職場の立派な車の後部座席に乗せて頂いたが…。なんだか、ちょっと、Yさんの運転が、危なっかしい…。更に、高速を、間違えて降りちゃった…。「運転代わりましょうか」と申し出たりしながら、その後も何度か「あれ? こっちかな。あ、こっちでした」といった感じで、まずはレストランに連れて行って頂く。
霧島市の黒酢屋さん直営のレストラン「黒酢本舗、桷志田(かくいだ)」。大隅(おおすみ)半島の付け根みたいな所の湾側。鹿児島県は西に薩摩半島、東に大隅半島。講演する鹿児島市は薩摩半島なので、全然方向が違うが、Yさんの名誉のために言っておくと、これは道を間違えたわけではなくて、あえてお連れ頂いたのだ。
食後のコーヒー以外には、全て黒酢が入っている料理。お冷やにもテーブル上の5年物の黒酢を入れてみると良いと書いてあったので、数滴たらしてみた。うん、すごい。さすが発酵食品である。数滴がかなりの威力を発揮していた。今までは、クセの強い酢というだけの認識だったが、あらためて発酵食品として認識させられた。もともと発酵食品が好きなので、急に黒酢も身近になる。ご飯を炊くにも黒酢を入れてあるらしいが、これはかなり微量なのか、わからなかった。
写真のように2階がレストラン部分で、そこからは桜島が見えた。
この日の桜島は、ご覧のように頂上が雲の中で、全景は見られなかった。
1階は売店。黒酢だけですごい品揃え。
そして、庭の方に出られるようになっていて…。
スゴイ香りである。ずっと奥までは歩いて行かなかったが、きっと、この辺一帯が、黒酢の匂いなのだろう。
車に戻る。駐車場がガラ空きだったので問題はないが、Yさんの停めた車はどういうわけか車幅を示すラインと平行ではなく、いくらかクロスして停まっている。なので、すぐあの車―と、分かるのは便利だ。
で、次に向かったのは桜島。この日は金曜日なのでYさん、本当は仕事のはずなのだが、完全に観光案内に徹して下さっている。ありがたいやら申し訳ないやら。
大隅半島を少し南下すると桜島と陸続きになっていて、そこから島に入る。大正3年(1914年)の大噴火で陸続きになったそうだ。私が生まれるよりも半世紀以上前の事。なのに、島という名称や、海の向こうに見える映像の記憶などからのイメージで、陸続きなんて考えてもいなかった。地図を見ればわかるのに。お恥ずかしい…。
その噴火の折に埋まったという鳥居に。
「黒神(くろかみ)埋没鳥居」と言う。
黒神集落というこの辺りは、1日で軽石や火山灰が、なんと、2メートルも積もったそうだ。そのためにこの地にあった「腹五社(はらごしゃ)神社」の高さ3メートルの鳥居が、こうなった…。掘り起こさずに、「噴火の記憶を後世に残そう」と、当時のままに保存していると、すぐ横の案内板にあった。
いやいや、想像を絶する噴火だが、桜島は今もバリバリ現役の火山であって、Yさんは夜に島を走っていると赤いモノが空に見える時がある、と、平気でおっしゃる。火星じゃない。噴火の炎の事だ。お墓にも、墓石の上に木製の屋根がある。降灰除けだそうだ…。
続いて、民間人が行ける最高地点、標高373mの「湯之平展望所」に。
桜島は最高峰が1,117メートルの北岳。ここはその中腹らしいが、残念、ここでも山の上部は雲に隠れていた。地面には黒っぽい火山灰。Yさんの話によると、この火山灰をさらに細かくして混ぜた石鹸があって、試しに使ったら、顔がヒリヒリしたらしい。いくら細かくしたと言っても研磨作用が強いだろうから、それは顔用ではなかったんじゃないかと後で思った。
駐車場に戻ると、またラインとクロスしている車が1台…。もし同じ車種ばかりが停まっていても、すぐにそれと分かる。
湾に出てフェリーに乗る。そこではさすがにまっすぐに停まった。ま、道からまっすぐに船に入ってそのまま停車したので曲がりようがない。
すれ違う船を見て頂きたいが、写真右側の先頭部分がパタンと開き、そこから車が乗り降りする。面白いのは、このフェリー、ターンしない。つまり、このすれ違う船は桜島に着くと、この先頭から車が出て行く。写真で言えば左の船内から右に出て行く。出終わると、鹿児島市内に向かう車が今度は右の陸地から左の船内にそのまま乗って行く。乗った車の向きは対岸を向いているので、市内に向かう船はターンしないで、いわば、ずっとバックして航行して行くのだ。例えるなら、路面電車みたいなものだ。バスだったら運転席は片側なので、反対方向に進むためにはターンが必要。でも、路面電車の場合、運転席が前後両側にあって、終点まで行くと、今度は運転士が反対側の運転席に移るでしょう。そんな感じ。この船も、もしかしたら路面電車のように、前と後ろの両方に、運転席(操舵席)があるような構造なのかもしれない。
鹿児島の港を下りて、そこから私の宿泊先まで送って頂く。その途中に、穴。
西南戦争末期に西郷隆盛が隠れた穴だそうだ。
西南戦争は、おわかりかな? 簡単に言うと、明治維新後の内乱だ。当初、明治政府の重要人物であった西郷隆盛が、意見の対立で政府から出た。その後、九州に戻った西郷は、それでも国を思いながらいろいろな活動をするが、政府はこれを敵対行為と解釈。更に、武士の特権を奪われた士族たちの不平不満が西郷の名の下に集結し爆発した結果、政府vs西郷ファミリーといった戦争が起きてしまったのだ。
城山公園というのが、現在のこの辺りの名称で、その公園の展望台から見た桜島がこれ。
そして、宿泊したのは城山観光ホテル。そこの露天風呂からも、同じような桜島の姿が見えた。
このホテル、なかなか立派なホテルで、見晴らしや設備も良いが、スタッフもしっかりしている。外国人客も多々。朝食バイキングも質が高かった。
チェックインした時点でYさんとは一度お別れ。ホテルの別棟のレストランがビアホール営業をしていて、夕方、そこで再会する。Yさん他、8人の保健師さん達と賑やかに乾杯。
…つまり、この日は、観光案内して頂いて、飲んで、おしまい。
7月1日土曜日。ホテルの送迎バスで鹿児島中央駅まで出てから、市電に乗る。会場まで向かうにあたり、市電に乗ってみたかったので、送迎を辞退した次第。
こんな現代的な車両に、まずは乗車。
こんな風に専用軌道を走っている部分が多かったようだ。 目的地に一番近い所までだと乗り継いだ方が良いと乗務員に勧められ、乗り継いだのが、これ。
山形県鶴岡市との「兄弟都市号」だそうだ。市電はこうやっていくつもの種類の車両が走っているのが楽しみの一つだ。ちなみに乗り継いでも、「乗り継ぎ券」みたいなのを頂いて、同じ料金。
会場は、鹿児島県市町村自治会館。私の前に鹿児島大学病院の医師による講演があって、演題は、「対策型乳がん検診と乳がんの診断と治療」。
プレゼンテーションソフトを使ってのわかり易い講演だった。本当は質問したい事があったが、ちょっと私の出る幕ではなさそうなので遠慮した。続いて、私の講演。演題は先述の通り。途中昼食をはさんで、何となく、いつものように無事に終わった。
終了後、またまた懇親会。そこの会場に行く前に、Yさんが、今度はご自分のマイカーで見晴らしの良い所に案内して下さる。
コンビニの駐車場に前進で入って停車。でも、やっぱり線とクロスしていて、もう、こうなると特技に思えてくる。
そこからの、桜島の全景。やっと上部まで完全な姿を見せてくれた。
懇親会会場近くのコインパーキングに。ここでもYさんの車は、やはり、曲がりたがる。しかし、コインパーキングはそうもいかないので、助手席の私は、
「もう少し右にハンドルを切った方が…、あ、ちょっと行き過ぎかな」
などと、にわか教習所の先生になる。
本当は私の前に講演された先生もご参加予定だったが、仕事のご都合で取りやめになり、この懇親会は6人の保健師さんと私。「さつま海鮮ろばた焼きチキンブラザーズ」という店。鹿児島と言えば豚と思っていたが、地鶏も美味しかった。ここでは、Yさんの組織の理事、Sさんもご一緒に。Sさんが拙著エッセイを気に入って下さって、それがお招き頂くきっかけになった由。感謝。
まだ明るい時間に一度飲み終えて、二次会に行こうという事で「天文館」という繁華街に向かう。 途中に大久保利通の像があって、記念写真。大久保利通は、西郷と同じ薩摩の出だが、西南戦争の前に西郷と対立、失脚させた人物。鹿児島では今でも西郷隆盛を好きな人が多いみたいで、その意味では、どちらかというと憎まれ役のようだ。
向かって左が産業保健師のNさん、右がYさんの部下のKさん。偶然にも幼なじみで、保健師になってから再会したそうだ。ネット上に写真が載る事に対しての抵抗は無いらしく、むしろ、Kさんは、まだかまだか、と楽しみにしているらしい。
「天文館」というのは、江戸時代の島津のお殿様が、天体観測所を建てた跡地という事。鹿児島市の中心的繁華街らしい。
そこで飲んだ後、更に上のお二人+Mさんと宿泊先のホテルのラウンジで三次会。今回は喋った時間も長めだったが、やっぱり、飲んでいる時間の方が結果的には長かった^_^;
7月2日、ホテルのバスで鹿児島中央駅に向かい、そこからレンタカーで出発。最終日は1人で観光してから空港に向かう。
まずは仙巌園(せんがんえん)。別名、磯庭園(いそていえん)。島津のお殿様の別邸だそうだ。
門を入るとすぐにこれ。
鉄製の「150ポンド巨炮」の複製だそうだ。説明書きによると、西欧列強に危機感を抱いた時の殿様が、西洋式の反射炉などを作って1857年にこんな大砲の製造に成功したらしい。パンフレットによると、「約68kgの鉄製の丸い弾を約3km飛ばす威力」があったそうだ。大陸間弾道云々という昨今とはかなり違うが、それまでの日本の大砲とはけた違いだったようだ。
そして、御殿の入り口。
この辺りからは、またもや桜島が良く見えて、庭の景色の一部となっている。
庭もなかなかのもの。左の建物が御殿で、そこからのほぼ正面の眺めが、前の写真の桜島だ。お殿様が庭を眺めると、その先に大きな湾が池のように見え、その先に桜島。借景という技法だ。実際の山などを庭の一部のように考えながら構成されている庭。贅沢な、優雅な景色である。 そして、この御殿の正門。
大河ドラマで、薩摩藩邸として撮影に使われたりしているらしい。この門が、もし自分の家にあったら―と、何となく想像してみた。門の方が立派でバランスの悪い事、この上ない…。やれやれ。
仙巌園を出て、今度は湾沿いに北上、「鹿児島神宮」を目指す。当初、予定のコースとはしていなかったが、Yさんの上司のK部長から、前日の昼食時に霧島神宮より格上の神社とお聞きし、寄ってみる事にした。
この日は、親子連れの参拝者が多く、子供の健康を祝うような、何かそんな儀式をやっていた。
「大隅国一宮(おおすみのくにいちのみや)」なので、文句なく、この辺りの代表である。
しかし、規模や豪華さという点では、次に訪れた名の知れた「霧島神宮」の方が、上であった。
まず、かなり手前にこんな大鳥居が迎えてくれた。
駐車場に車を停めて、中に入ると、妙な色をした湧き水と池。
まるで温泉みたいだなと、手を入れてみたら、温泉だった。
そして、これが、本殿の姿。
坂本龍馬が新婚旅行で訪れた所らしい。正確にはそんな習慣は日本には無かったはずだが、新婚時代に湯治に訪れた所―という事の様。
2泊3日の行程を無事に終えて、鹿児島空港に。
初日は雲が多かったが、2日目と3日目は、随分と晴れて、暑い日だった。でも、日陰に入ると少し楽。湿度が少し低いのだろう。蒸し暑さに苦しむ関東人からすると、南国鹿児島の暑さは、またちょっと異質なのかもしれない。
印象的だったのは、まず、桜島。どこからでも見える感じ。この辺の人々は、噴火しようがどうしようが、桜島と共に生きているのだ。灰が降っても、今の時期はこの辺に降るってわかっているから問題ないらしい。私が行った時には、一度も噴火がなく、やけにおとなしいと皆が言っていた。ホテルの温泉の入り口にも「今月の噴火情報」みたいな掲示があった。それくらい、噴火が普通の日常的な事のようだ。
その後、ネットで調べてみると、気象庁のページの中に桜島をはじめとした火山の活動状況を掲載しているページがあり、その中には「週間火山概況」というサイトがある。
試しに8/11~8/17を見てみると、
「桜島では、活発な噴火活動が続いています。昭和火口では、噴火を54回観測し、このうち2回が爆発的噴火でした。噴煙が最高で火口縁上1,800mまで上がり、弾道を描いて飛散する大きな噴石が最大で6合目(昭和火口より300mから500m)まで達しました。同火口では、12日及び13日に高感度の監視カメラで明瞭に見える火映を観測しました。」
などと、普通に書いてあるではないか…。
これが日常というのは、なかなか実感できないが、それでも皆さん、桜島が大好きみたいだ。
もうひとつ、「薩摩おごじょ」達は、なかなか面白かった。「おごじょ」というのは女性っていう意味で、つまり、鹿児島の女性という意味。もしかすると本来は「御御女」と書いたのかな、とは、私の想像。「御御御付(おみおつけ)」みたいな感じで。
Yさんの、とても真面目な方なのに、どこか愉快なお人柄。運転や駐車の不思議さだけじゃなく、時々ヒョウヒョウと面白い事をおっしゃる方だった。また、私の娘と同世代のY・K・Mさん達の初対面とは思えないくらいの親しみやすさ。次はマグロラーメンをご馳走するから、それを講演料代わりに―なんて言われて…。マグロラーメン、確かに食べてはみたいが…。
芋焼酎も、今回ほど美味く感じた事は過去にない。種類の問題ではなく、おごじょ達の上手な気配りのお蔭であろう。
機会があれば、桜島の噴煙や降灰も、直接見てみたいものだ。それを含めて、鹿児島旅行が完結するような気がする。