web版 講演旅行記-11 通算第29回
過去写真館-①
2018-04-24
久しぶりの旅行記である。
だが、去年の秋に茨城を訪れて以来、本誌関連の講演はない。今年になって、埼玉と東京で話すなど、講演そのものはあるのだが。
今年度という事でも、群馬、三重の予定が入ってはいるが、今のところ、それだけ。
というわけで、新ネタがないので、web版以前の講演旅行の写真展をやろうかな、という次第である。
ただ、問題点が、いくつか。
まず、掲載を前提としていないので、写真が少ない。更に、当時はスマホではなくガラケーだったので、カメラを持って行っていない時の写真の質も悪い。
加えて、年数が経っているので、私の記事を見て旅行に訪れても、様子が変わっているかもしれない(ノ≧ρ≦)ノ
と、まぁ、問題はあるのだが、深く考えずに紹介して行こう。
本誌関連の最初の講演は、2013年2月号で紹介した、埼玉県深谷市。訪問したのは2011年の12月だ。
これが、当時の深谷駅。多分、今も変わっていないと思う。
何だかすごいでしょう。どこか有名な所に似ていると思いません?
実は、最近復元された往年の東京駅の丸の内口とよく似ているのだ。
似ているというか、正確に言うと、似せてある。何でも、昔、東京駅を作った時に使った煉瓦を焼いたのが深谷市だから、という事らしい。
その他、深谷の名産で有名なのは深谷ネギ、そして、「煮ぼうとう」というのが地元の食べ物で、訪問した時に食べたのだが、写真はない。残念!(>_<)!
その後の訪問地、千葉市や群馬県伊勢崎市の写真はない。千葉市については、モノレールの写真だけ残っているが、皆さんに紹介しても、きっと面白くないだろう。個人的には、昔、男の子だったので、半世紀以上生きて来ても珍しい乗り物を見ると心が動いてしまうものなのだ。
モノレールなんて珍しくない? いやいや、一口にモノレールといっても、大きく分けて、線路? から、ぶら下がっているタイプと、またがっているタイプがあるし、その他にも細かい特徴がいろいろあって、なかなか興味深い乗り物なんですよ。
やっぱり、写真、紹介しておこう。
ちなみに、現在も営業運転している最古のモノレールは東京の上野動物園の中にある。私より1年年上だから、かなりのベテランだ。パンダを見に行ったら、ついでにモノレールも見てやって下され。
次は、北海道北斗市である。訪問したのが2012年5月、誌上で紹介したのがその丸1年後。
北海道は行ってみたいなと思いながらも、それまで全くご縁がなく、初上陸であった。しかし、後悔している事があって…。
何せ、講演旅行として宿泊を伴うのはこれが初めてであったために、ついでに観光したり楽しんじゃおうという視点が、あまりなかった。だから、せっかくの初上陸なのに、たった一泊で、半日遊んだだけで帰って来てしまったのだ。
せめて2、3泊して、周辺をもっと見てくれば良かった…。
どうか、北海道の皆さま、また私に機会を与えて下さいm(_ _)m
…って、おいおい、毎度の事ながら自力で行けって話だが(;^_^A
お呼び頂いたのは北海道北斗市。北海道新幹線の現時点での終着駅がある所。
講演が終わってホテルにお送り頂く前に連れて行って頂いたのがトラピスト修道院。
門の方まで行って振り向くと、杉並木の向こうに海があり、写真ではわかりにくいが、うっすらと陸が見える。そこはおそらく青森県下北半島。
案外近い気もするが、これだけの距離があれば動物分布の境界線にもなるわけだと思ったり、この津軽海峡には、どれだけのドラマがあった事だろうか、と、思ったり。なかなか感慨深い所であった。
宿泊したホテルは、「ラビスタ函館ベイ」。
赤レンガ倉庫街のすぐ近くで、函館山も近い。
手前の下の方は赤レンガ倉庫街。
屋上に露天風呂があって、函館の海が見渡せた。
ここに見える船は、後に訪ねる「摩周丸」という、実際に青函連絡船として使われていた船。
今は記念館として、展示されている。
ホテルの都合で広い部屋になり、翌朝の朝食バイキングではよくあるように和洋食がそろっている上に、いくら、甘海老などがふんだんにあり、さすが北海道と感心。
ホテルをチェックアウトして函館市街に出る。そして、またまた乗り物の写真。
市電である。左側の車両は、二つの車両が繋がっているが、いわゆる2両編成とも違った構造。実に珍しい物であった。
市電に乗り、五稜郭(ごりょうかく)に向かう。明治新政府軍に追い込まれた江戸幕府軍終焉の地。
その五稜郭を見下ろすようにそびえる五稜郭タワー。
五稜郭の中はちょうど桜がよく咲いていて、観光客が沢山。
そして復元された「箱館奉行所」。
五稜郭タワーの上から見下ろすと、こんな風に見える。
全体が星形に見えるでしょう。そして、中央あたりが奉行所だ。桜もよく咲いているのがわかるが、実はこの日は3月下旬の気温とかで、花見客がとても寒そうであった。
帰る前に、最後に訪れたのが、先に紹介した船、「青函連絡船記念館摩周丸」。
これは、船の操舵室。記念館といっても、岸壁につないである船で、波を受けて揺れる。この船こそが、演歌に出てくるような北海道と本州を結ぶ命綱であったわけで、なかなか味わいがある物であった。
泊りでの講演旅行の最初が北海道。ただ、北海道の前に和歌山からの依頼があったのだが、実施は北海道が先だった。この2か所については、まさか空路で講演に呼ばれるなんて、何かの間違いかと思ったものだが、旅行記を読まれている方ならご承知のように、その後も、どんどんそういう機会が増え、むしろ、年に何回か空路利用が当たり前みたいになってしまった。
まったく、人生というのは予期せぬことが起こるものだ。
次回は、和歌山特集。