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鮎川沙代さんインタビュー/「ピープル」2023年5月号WEB版
超高齢社会の日本、大きな社会課題となっているのが、高齢者が安心して過ごせる居住環境の確保である。鮎川沙代(あゆかわ・さよ)さんは、不動産仲介の会社を経営する中でその問題に行き当たり、やがて考えを同じくする仲間たちと2019年9月に株式会社ノビシロを設立。2021年春には、神奈川県藤沢市にコミュニティアパートメント第一号となる「ノビシロハウス亀井野」をオープンした。この新しい形の高齢者向け賃貸住宅は、いま大きな注目を集めているが、その発想に至った経緯と今後の展望を鮎川さんに伺った。
[取材・文:白井美樹(ライター)・写真:豊田哲也]
上京し不動産仲介会社を設立
佐賀県で生まれ育った鮎川さん。2011年に東日本大震災が起こったことで、それまでの生き方を大きく転換することになった。
「テレビに毎日映る悲惨な光景を目にして、生きるんだったら、誰かの役に立つことをしようと思いました。実際には、社会の役に立つことが何なのかも分からないまま、2011年に一人で東京に出てきたのです」
そのとき漠然と思っていたのが、会社を経営することだった。自分にはそれまでの実績はないし専門的な知識もなかったから、社会貢献できるとすれば、自分が会社を経営して雇用を生み出すしかないと考えたのだという。
そんな鮎川さんは、東京で一人暮らしの部屋を見つけるために、ある不動産仲介業者の扉を叩いた。そのときの現体験が、仕事の行方を決めるきっかけとなる。
「初めて一人暮らしの部屋を探そうとして行ったのに、その不動産仲介の人は、あまり親切ではありませんでした。もっと良い対応をしてくれたら、お客さんはリピートしてくれて、いい人間関係が作れるのになあと思ったのです。そのときに『自分で不動産屋をやろう!』と決めました」
新宿を拠点に難しい物件探しに奔走
早速2012年4月、不動産仲介業を営む株式会社エドボンドを創業。事務所を構えた場所は、まさに大都会の中心地、新宿だった。
「地道に不動産仲介をやっていると、紹介や口コミで、お客さんの輪が広がっていきました。ほかの不動産屋で断られたという人でも、一生懸命に部屋を探して成約にこぎつけました。するとだんだん、ちょっとマイノリティーな境遇の人たちを紹介してもらう機会が多くなっていったのです」
オーナーや管理会社が貸すことを躊躇しがちな人たち――例えばシングルマザーや身体に障害がある人、外国籍の人、身寄りがない人、などなど。そして新宿という土地柄、ホストクラブや性風俗店に勤める人も、鮎川さんの不動産仲介を頼ってくるようになった。
「そういうなかなか部屋が見つからないという人たちも、頑張れば部屋を探せるものなのです。法律的に何も問題はないし、貸し主と借り主の間で合意が成立すればいいわけですから、とにかく貸してくれる部屋が見つかるまで、電話をかけまくりましたね。オーナーさんや管理会社の人10人に電話して全部断られたとしても、100人にあたれば1人くらいは貸してくれる人が見つかるといった感じでした」
「部屋を探すのはとにかく粘り強く電話をかけ続けること」と鮎川さん
高齢者の部屋探しだけは困難を極めた
ところが、高齢者の一人暮らしとなると、話は別だった。どんな境遇のお客さんであっても百戦錬磨で部屋を紹介してきた鮎川さんだったが、「85歳で一人暮らしがしたい」と言って来たお客さんの部屋を探したときは、どうしても決まらなかったのだ。
「このとき初めて不動産業界に、超えられない壁があるということが分かりました。もちろん貸す側にもさまざまな事情はあるでしょう。でも、そんな話を聞けば聞くほど、私の中では『なぜダメなんだろう?』という思いが強くなりました」
さまざまな事情とは、「認知症や孤独死のリスクがある」「不慮の事故があっても責任がとれない」といったことだ。そして、「高齢者だったら、老人ホームに行けばいいんじゃないの」という感じで、高齢者は回避したいという人たちがほとんどだった。
「500人くらいに電話すると、2~3軒は貸してもらえました。でも、それは高齢者の方が本気で住みたいと思えるような部屋ではありませんでした。それが分かり、高齢者が望むような部屋にスムーズに住めるように、何か手助けをしたいと強く思ったのです」
とはいえ、高齢者が自立して自分の部屋で住み、どんな暮らしをしたいのか、当時の鮎川さんは分からなかったという。自分の祖父母たちとは同居したことがなく、しかも全員鮎川さんが小学校低学年のときまでに亡くなっていたので、高齢者の暮らしぶりは想像もつかなかったのだそうだ。
介護や地域包括ケアの勉強会に足しげく参加
「まずはそれを知らなくては良いサービスができない」と思った鮎川さんは、ある人とコンタクトをとることにした。そのある人とは、介護業界では国際的にも有名な、株式会社あおいけあ代表の加藤忠相さんだった。
「私が高齢者が不動産業界でこのような部屋の問題を抱えていると話をすると、加藤さんは高齢者の一人暮らしがそんなにも難しいとは知らなかったとおっしゃいました。そして、とても共感してくださり、その問題を解決するためにお互いに協力し合うことになったのです」
加藤さんの紹介もあって、鮎川さんは介護のこと、地域包括ケアのことについてさまざまな勉強会に出席するようにした。医師が集まる在宅訪問診療の勉強会に、不動産の業種で参加したのは鮎川さんだけ。周りの出席者から、最初こそ「何がしたいの?」と不思議がられたものの「居宅を拠点にして介護や医療が受けられ、終末期まで自宅で過ごせる部屋を提供したい」と話すと理解してくれるようになり、いろいろなことを教えてもらったという。
「そうした勉強を3~4年続けていくうちに、『認知症の人がどうなっていくのか』『最後を看取るとはどういうことか』などがしだいにイメージできるようになりました。そして『高齢者に賃貸するとしたら、どんな部屋がいいのか』を真剣に考えるために、2019年に加藤忠相さんたちと一緒に、株式会社ノビシロを作ったのです」
株式会社ノビシロを設立し高齢者が望む住居を考える
(株)ノビシロの創設メンバーは7人。不動産業界、介護業界、エンジニアなど、いろいろな分野から人が集まった。事業内容としては、部屋のサブリースをすることをサービス設計として打ち立ててスタートした。
「初年度に行ったのは、知り合いの不動産管理会社にお願いして、足立区の賃貸住宅に住む高齢者20組を選抜し、その家庭に訪問させてもらうことでした。その人たちが現在要介護か、介護保険を使っているか、頼れる人がいるかなどを調査し、レポートを管理会社に提出していたのです。それにより、私たちは高齢者のニーズが把握できるようになってきました。ところが、それから間もなく新型コロナウイルスが流行してしまい、訪問できなくなってしまったのです」
そんなときに、思いがけない話が飛び込んできた。加藤さんのもとに、藤沢市亀井野にある中古アパートを買い上げてくれないかという相談が持ちかけられたというのだ。しかも、全くの偶然ながら、アパートの隣の土地は加藤さんのものだった。この2つをつなげたら、良いサービスが提供できるとひらめいたのだそうだ。
「話は進むときにはトントン拍子に進むものです。早速不動産取得と設計を行い、工務店を探して着工し、2021年の1月『ノビシロハウス亀井野』が完成しました」
多世代交流型アパート「ノビシロハウス」が完成
ノビシロハウスは、住居、カフェやランドリーなどのコミュニティスペース、地域医療の拠点が一つになった、新しい形のアパートだ。入居する際に特に年齢制限はないが、1階はバリアフリーで主に高齢者向けの住居となっており、2階は学生の入居者が多い。
2階に住む場合には、ちょっとユニークな契約メニューがある。それはほかの住民に日頃から声掛けをし、月に1回のお茶会に出ること。そうすれば家賃が半額になるということだ。
「このような形にしたのは、高齢者、若い世代、近隣の住民が交流しながら、楽しく過ごせるようにするためです。『高齢者の一人暮らしでも賃貸で借りられる』ということだけでなく、生活が豊かになることに重点を置いているのです」
ノビシロハウスなら、もし高齢者の方が認知症で自分のことが分からなくなっても、周りの人が分かってくれる。そして隣にクリニックがあるので、「倒れたらどうしよう」などの健康不安を払拭できるというわけだ。
「周りに顔を見て話せる人がいるか、楽しみ事が月に何回かあるか、ということが人間の幸福度に関わると思います。ノビシロハウスなら、高齢の方が元気に暮らせるうちから楽しいコミュニティを作って15~20年暮らし、そこを終の棲家にするということもできます。そういう考え方が、もっと広がってくれればいいなと思っています」
やみくもに建物を増やすのではなく、みんなが安心して住める場所を増やしていきたい
世代交流型コミュニティとして注目度の高いノビシロハウスは、不動産業者に限らず多くの分野から見学者や取材が絶えないという。現在、アパートは満室だが、すでに空室待ちの人もいる。
「早く次を作らなきゃという思いもありますが、ただ、やみくもに建物を増やすのではなく、リアルに顔を合わせて話をできる場所が持てるかどうかが肝心です。同じ思いを持つ人たちと、これがノビシロハウスだといえるものをほかのエリアでも増やしていけたらいいですね」
鮎川さんは、これまで保健師とは直接関わることはなかったという。保健師の仕事内容を伝えると、アパートの住人の中には、健康面で悩んでいるのに、介護保険の利用や服薬・治療を拒むような人もいるので、もし機会があったら保健師にノビシロハウスのお茶会に参加してもらい「こんなサービスがあるよ」ということをうまく伝えてほしいということだ。
住民だけでなく、クリニックの医師や近隣の人も参加して、和気藹々と過ごす月1回のノビシロハウスのお茶会。もし参加できれば、保健師にとっても新しいビジョンが開けるかもしれない。
株式会社ノビシロ公式サイト:https://www.nobishiro.co.jp/