WEB連載

帰ってきた「閑話ケア」……ときどき「講演旅行記」

第10回 講演旅行記-岐阜県 瑞穂市周辺(通算 第139回)

岐阜県! 新しい都道府県である。
呼んで頂きお伺いした都道府県の21番目。新顔はいつ以来かなぁ? 調べてみたら、多分、2017年2月の山口県以来のようだ。7年ぶりの記録更新だ。
47都道府県の半分くらいに呼ばれて訪れる事が出来たら、と、いつの頃からか思うようになったが、20から先が、なかなか伸びなくて。だから、単純に、嬉しい。
しかし、岐阜県? 申し訳ない事に、まるでイメージが出来ない。
東海道新幹線で通過した事はある。長野県の西。以上。
…みたいな感じなのだ(;^_^A
あ、もうひとつ。たしか織田信長が、「岐阜」と命名したという話を聞いたか読んだかした事がある。
どう絞り出そうとしても、これでおしまい。
ご連絡を頂いたのは今年の1月。「岐阜県市町村保健活動推進協議会保健師部会」副部会長で、瑞穂市役所地域福祉高齢課のYさんから、相談室の「お問い合わせフォーム」経由で打診が来た。
岐阜県でピンと来ないくらいだから、瑞穂市も、もちろん存じ上げない。
その保健師部会の役員会議で、「岐阜県の保健師は最近何となく疲れているのではないかという話題になり、住民に支援する側が疲れていては良い支援ができないのではないか。それならば保健師が元気になる話が聞きたい!!そこで地域保健に連載されていた時から保健師の心を癒していただいた藤本様にお願いしたいとなりました」
との事。
お断りする理由はどこにもない。日程も条件もわからないままお引き受けすると即答した。
その後、日程が5月末日と決まり、Yさんが岐阜について、こう説明してくれた。
「岐阜は飛騨地区と美濃地区に分かれます。飛騨地区は高山や下呂温泉があるところで、美濃地区は比較的名古屋に近い地域になります」
あ、なるほど。飛騨高山とか下呂(げろ)温泉ならば有名だから聞いた事はある。それに美濃(みの)も聞いた事がある。少しずつ、岐阜の正体がわかりかけてきた。
南部の美濃平野を中心とした所が旧、美濃国(みののくに)、北部山岳地帯が飛騨国(ひだのくに)という事だ。でも、あれ? 濃尾平野とかいうのも、この辺かな? 「関ケ原の戦い」の関ケ原も岐阜だったよな―などと、いろいろ思うがやっぱりピンとは来ない。
1月下旬には、Yさんから、岐阜市周辺の観光資料が送られてきた。この時点ではまだ日程も会場の場所も決まってないのに、である。去年の新潟の十日町や山形講演の時も注釈付きの資料が沢山送られてきた事をそれぞれの旅行記で紹介したが、Yさんの資料にもメモ書きの付箋が付けられていたりして、ついつい笑ってしまった。
おそらく私が、講演だけして帰るはずがない、何か「旅行記」のネタを提供しなくては―と考えて下さっているのであろう。じゃ、見物しなきゃ。
ちなみに、寄り道しなければ日帰りは十分可能。でも、懇親会もという事になって、早いうちに岐阜市の宿を予約した。


そうこうする内に、5月を迎え、月末になり、何だかすごく久しぶりに講演旅行に行くような気分で5月31日、またまた東海道新幹線に乗った。愛知と静岡に伺ったのが1月だから4か月ぶりの東海道新幹線だが、今年という事で言えばもう3回目。そして、新幹線は関係ないが2月には横浜で講演しているから、講演そのものはコロナ禍時期に比べたら、そんなに久しぶりでもないのだが、3か月も間が空くとウズウズする体質になっているようだ。新幹線の座席に着くと、そのウズウズが治まり、すっと落ち着いてくる。名古屋まで、良く寝た。
名古屋。そうなのだ。今回伺う瑞穂市は名古屋から東海道本線の新快速で25分。岐阜って、名古屋に近かったのだ。
新幹線の駅に「岐阜羽島」がある。だから、その辺が岐阜の中心に近いのかなと勝手に思っていたが、岐阜羽島はもっと南で、岐阜の中ではだいぶ隅っこで愛知県一宮市の近くのようだ。
名古屋は愛知県幸田町に行った時も乗換駅。最近名古屋づいている。実は今秋にも幸田町に呼ばれているから、名古屋を通る可能性が高い。
会場の瑞穂市の穂積駅で下車。ミズホ市のホヅミ駅だ。ダジャレみたいだがそうではない。元々が穂積町の駅だから穂積駅。周辺との合併によって瑞穂市になったらしい。
東海道本線という立派な路線だが、まあ実態はローカル線の小さな駅。宿泊予定のため、トロリーバッグ(車輪が付いてるカバンを正式にはこう呼ぶらしい)持参だったが、あいにくの小雨で持ち運びたくなくてコインロッカーを探したが、ない。
そんな、小さな駅だ。仕方なく、傘を差し、バッグをゴロゴロと引っ張りながら、事前に調べた駅近の食堂に向かう。そんな状況だったために、駅近辺の撮影は忘れた。
大衆食堂という懐かしい響きのM屋に入る。先客1人。中華が中心みたいだが、定食も何種類もあって、先客のオジサンは漫画雑誌を読みながら何かの定食を召し上がっている。私は五目ラーメンを注文。今時、600円!
味も雰囲気も昭和の懐かしさに満ちていた。その雰囲気に、「撮影してネットに紹介しても良いですか」などと今風のお願いは、とてもとても言い出しにくくて、店や料理の写真もない。実名は伏せるが、駅近くにはそこしかないから、調べるとすぐわかる。昭和が好きな人には、是非お勧めだ。
再び、降ったりやんだりの小雨の中をゴロゴロと音をさせながら歩く。平らな土地。濃尾平野の一部なのだろう。私の住む関東も平野だが、地方に行くと、たいてい近くに山がある。その意味では関東の郊外の例えば埼玉県北東部などと、よく似た景色。
ちなみに、岐阜、愛知、三重にまたがる全体を「濃尾平野」その内、木曽川の西を「美濃平野」と呼ぶらしい。
会場の建物を発見し、入り口を探して近寄って行くと、私も発見された。
見知らぬ女性が確かめるように私の顔を何度も見て、
「藤本先生ですか?」
マスクをしていなかったから、すぐ発見された次第。
会場の建物を撮影してから中に入る。

なかなか立派な建物。道を挟んだ所には市役所もあった。
ほどなくYさんも登場。何度もメールでやり取りしていたため、
「初めてお会いした気がしません」
と声をかけて頂いた。
私も親しいような気もするのだが、Yさんほどにはそう感じていない気がする。
で、気づいた。私はYさんのお顔を知らないが、Yさんは私の、今やweb上にまで公開されている「手配写真」をご覧になっているから、余計にそう思われるのだ。
う~ん、やはり写真の目の部分に黒い線を入れてもらった方が良いかもしれないが、もう手遅れか…。
愛知県幸田町に続いて、私が仕事をしている証拠写真がある。

記録用に撮影されたものらしいが、Yさんが送って下さった。
なかなか強いスポットライトで、暑かったのを思い出す。写真でも私が全体に白っぽいが、それがライトの強さの証拠だ。
講演のお題は「岐阜県で働く保健師のための閑話ケア」。いつものように沢山の質問も出して頂いて、内容はともかく、一応無事終了。
質問の中で「講演料はおいくらですか?」というのがあって、苦笑。県内のどこかの市町村からお呼び頂けたら喜んで参りますよ(*^―')b


講演終了後、また、ガラガラゴロゴロと駅まで歩き、宿泊先のある岐阜駅に向かう。瑞穂市とはこれにてお別れで、「富有柿発祥の地」という事以外はほとんど知る機会が無かった。
岐阜駅は名古屋方面に2駅戻る。北口側に出ると、いきなり目を引くものが…。

近寄ると、

少し離れた裏側から見ると、

岐阜駅がまるで新幹線の駅みたいに立派で、それを信長公が見ているという構図。しかも大きくて金ぴかで。Yさんによると何かのイベントの時には赤いマントを羽織る事もあるとか。
かなりのインパクトである。信長公は岐阜の人に愛されているのですかと尋ねたら、
「他に有名な人がいないですから…」
とのお答え(;^_^A ま、信長公に匹敵するほどの有名人は、確かにいないかもしれない。
岐阜のホテルにチェックインし、夕方、Yさんのお迎えを待って岐阜駅前からもう御一方と共にバスで出発。懇親会場に向かう。鵜飼で有名な長良川の近くの川原町通りというエリア。

左後方を振り返ると、明日訪問予定の岐阜城の天守がかなり高い所に見えた。

古民家を改装したらしい「文化屋」というお店に。私を含め5人での会食。

お店の中はこんな雰囲気で、

窓の外には長良川が見える。

建物については「古民家」以上の情報が無かったが、民家なのだろうか? それにしては広過ぎる気もした。周辺には蔵造りの建物が残っており、長良川の物流に関係した何らかの商家だったのではないだろうか。
メニューはこんな感じ。

前菜のカプレーゼ、ニョッキはイタリアンだし、グラニテ、コンフィ、ポワレはフレンチでしょ。でもって、カレーきしめん…。創作料理のコースって事だろう。
カプレーゼはこんな感じ。

良い感じでしょ。他の料理の写真も何枚か撮ったのだが、ちょっと出来が悪かったので、掲載はこの一枚にしておくが、毎月、工夫された料理が比較的安い価格で提供されているようで、近所にあったら嬉しいかもしれない。
皆さん普段は別の職場に所属する保健師部会の役員さんたちなので、こういった機会は、貴重だった様子。そういえば、前にも、そんな話があった。私をきっかけとして、皆さんの交流が深まるわけで、それはそれでとても良い事だと思う。どうぞ皆さん、ダシに使って下さいませ。
現役の皆さんだから私より当然若いが、昔の缶ジュースは今のように簡単に指で開ける事が出来なくて、小さな缶切りのような物が付属で付いていた話など、どうでも良い話で盛り上がった。
そういう缶ジュース、知ってる人って、今どれくらいいるかなぁ…。
あと、岐阜県中津川の名物で私が良く知っている「栗きんとん(栗金飩)」という和菓子の話が出て、あ、あれも岐阜だったかって、あらためて気づいた。岐阜の物でもよく知っている物があったのだ。
お節料理に入っている「栗きんとん(栗金団)」とは全く別物。何かで知って取り寄せて、本当に栗そのもののうまさがあって大好きだが、「中津川」とは知っているものの、そこも岐阜県だっていう事をすっかり忘れていた。去年の秋の幸田町講演の帰りの名古屋駅でも見つけて買って帰ったのに…。
どうも、部分的にだけ知っていて、それが岐阜県という全体と繋がっていなかったようだ。もしかすると私が住む埼玉県も似たようなもので、川越とか秩父とか新一万円札の渋沢栄一とか、そういった地名や人名はそれなりに有名だから知っているけど、それが埼玉県(渋沢栄一の出身地)だというのを、特に西の方の人々はわかっていないかもしれないとも思った。
食事が終わる頃には暗くなり、外に出ると、入り口がこんな感じ。

長良川の鵜飼いの絵柄。なかなか良い風情。
車でお送り頂いて、終了。


翌日。月が替わって6月1日。バッグは宅配便で送り、手ぶらになって観光に出発。
まずは昨夜乗ったのと同じ方面行きのバスに乗り、「岐阜公園歴史博物館前」で、下車。岐阜公園に入る。

昨日と打って変わって、良い天気。が、朝から蒸し暑い。真ん中の道を進むとロープウェー乗り場がある。Yさんによれば徒歩でも登れるらしいが、朝一番からそんな事をしたら先が思いやられるので、迷わずこっちを選択。

ところで、この「金華山」という名前。これにも実は戸惑った。宮城県石巻にもこの名前の島があって「金華山沖」と言えば世界三大漁場とも言われる程の有名な海域であって、私はそっちを連想してしまう。岐阜城について下調べをしていて「金華山」が出てきて、????となった次第。
山頂駅まで数分で着いて、見下ろすとこんな感じ。

しかし、山頂駅というのはウソで、ここからまたしばらく登る。

そして、やっと見えてきたのが再建された岐阜城天守だ。

標高329メートルだそうだが、結構急な斜面の山頂にある。実際には、この山そのものが城と言うべきであって、天然の要塞だったのだろう。天守に入って最上部から外を見ると、

こんな風に周囲が見渡せちゃう。信長にこんな所に陣取られては、周囲は動くに動けなかったであろう。
その信長公の木造坐像の複製がこれ。

なかなかリアルだ。 天守の中は、やはり博物館化していて、いろいろな展示物があった。
天守を出て、岐阜城資料館に入るが、ここは思ったより小さかった。
ちょっと前の大河ドラマ関連の、こんな物もあった。

右の兜は、ドラマで俳優Mさんが着用した物だと。左側はそのMさんの蝋人形かな。


ロープウェーで下山し、歴史博物館はパスして、バスで岐阜駅に向かう。次の目的地があるからだ。
大した距離は歩いていないのに、暑くて体力消耗気味だし、次の所でどれくらい歩く事になるかもわからず、まずはそっちに向かう事を優先したのだ。年寄りには年寄りなりの工夫が必要。
岐阜駅から昨日の講演会場があった穂積駅を通過して35分、次はこの駅に下車。

そう。立ち寄りたかったのは関ヶ原。戦国最大の大いくさの舞台だ。
線路をまたいですぐの所に「東首塚」なるものがある。これは、説明書きによると家康軍と石田三成軍の戦いの後、勝った家康が東西2か所の首塚を作り、すべての首や遺骸を葬ったそうだ。敵方に対する仁義という事だろう。

裏道を歩く。電信柱まで面白い。

そして道を見ると、

北国に見られる融雪装置がある。そう、実はこの辺は豪雪地帯としても有名なのだ。名神高速道路の雪による大渋滞は今年1月の話だ。昨今はかなり対策されて来ているが東海道新幹線もこの辺が雪のウィークポイントだった。本州の中でかなりくびれが目立つ地域で、日本海側からの風も入りやすい地形なのだろう。知識としては豪雪地帯と知っていたが、この装置を見た時はちょっと意外で「え? なんで? あ、関ヶ原!」といった独り言をつぶやいてしまった…。
メインの道には、何だろう水道施設かな。円柱の片側が家康軍で反対側が三成軍。

そこを通り過ぎるとほどなく、目的地の「岐阜関ケ原古戦場記念館」。

その右側は町役場だ。

中では上映時間の関係で見る事が出来なかった映像展示、博物館的展示などがあり、5階は展望室になっていて、ここからは古戦場全体が見渡せるようになっている。

写真の展示がそこにあって、この位置に誰の陣があったとか、そういった事がわかるようになっている。

建物の裏には家康の陣があった跡地があり、ここで家康が、敵の首を確かめたという場所があった。

岡崎観光をした時に大樹寺に書かれていた「厭離穢土欣求浄土」というノボリがあった。
何万もの命がこの地で果て、そういった犠牲を超えて後の江戸時代が生まれ現代につながる。
その大いくさは1600年10月。423年半前。でも、今でも世界各地ではもっと悲惨な戦争が続いている。何とかならないものだろうか―などと、いろいろと考えさせられる土地であった。


この後、食事をして土産を少し買ったりして、帰路に。レンタサイクルを借りていろいろな陣跡を巡ったりする事も可能だが、暑さと体力を考え、やめておいた。戦国時代好きの人は結構多いから、そういう方にとっては飽きない町だろうが、住民はどう思っているのかな。貴重な観光資源には間違いないけど、住民にとっては生活の場だ。観光地を訪れる時はそういった配慮を忘れない様にしたいものだ。
私自身にとっては呼んで頂いて訪れ、ほんの一部に触れただけだが、前よりは岐阜が確実に身近になった。中津川の栗きんとんを食べる時も、ただ美味しいからではなく、今度からは岐阜産の好物と思って頂く事にしよう。岐阜の皆さま、ありがとうございました(^.^)(-.-)(__)

著者
藤本裕明(ふじもと・ひろあき)
分類学上は霊長目ヒト科の♂。立場上は一応、心理カウンセラーに属する。自分の所の他、埼玉県川越市の岸病院・さいたま市の小原クリニックなどで40年以上の臨床経験があるが、年数だけで蓄積はおそらく無い。
次は8月に千葉、10月にまた幸田町、その後にまた千葉、と入っているが、昨年度に比べると少ない。岐阜の次の新しい都道府県、さて、呼ばれる事があるのかな…。 いやいや、同じ所も大歓迎ですよ(*^―^)ノ♪
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