WEB連載

帰ってきた「閑話ケア」……ときどき「講演旅行記」

第12回 講演旅行記-千葉県 酒々井町(通算 第141回)

千葉県の酒々井町。「しすいまち」と読む。印旛郡に所属する町だ。
「しゅしゅい」じゃなくて、何で「しすい」なのだろうか?
成田空港に近い地域で、2013年にアウトレットモールがオープンしてから、関東の人々にはその名が知れたが、私自身はアウトレットに行く習慣が無いので、無縁の町だった。でも、テレビのCMでその名が流れて、読み方は何となく存じ上げていた程度の町。
これは前にも書いた気がするが、千葉県と私の住む埼玉県は隣同士の県であるが、私にとってはかなり遠いイメージだ。千葉の北西部は東京や埼玉東部に隣接しているが、私の生活圏は埼玉県中南部。千葉県本体は、大きく、ドーンと東の太平洋に張り出していて、よほど観光目的でもない限りなかなか行かない土地。だから、成田の近くだと知っていてもそれ以上、まったくピンと来ない。
そんな町の保健師Sさんから、2023年11月下旬、「お問い合わせフォーム」を通して以下のような連絡が来た。
「当町を所管している印旛管内にて、『印旛郡市保健指導者研究会 保健師・看護師部会』という9市町で情報共有や勉強会の役員を務めております。『地域保健』の講読を通して先生の講演に関心があり、令和6年度に当研究会のご講演をお願いできたらと思っているところです」
何はともあれ「酒々井」である。
酒害相談担当者には怒られそうだが「酒好き」を公言している身としては、それだけで運命的なモノを感じた。というわけで、早速ご連絡、3日間ほどの間に本年8月19日と、日程も決まる。


そこまではとんとん拍子だったが、次のご連絡はしばらくなかった。本年5月末、岐阜県の旅行、いや、講演も終わって、6月に入り、あれ、そろそろ、酒々井だけど、そういえばテーマも決まってなかったなって思った頃にKさんから、担当が代わったとご連絡を頂いた。あとで知ったが、Sさんは産休に入られたとの事。お会いできなかったのは残念だが、母子ともにお元気と当日お聞きした。良かった良かった。
例の如く講演でお伺いするからにはと、酒々井の事を調べ始めた。町名の由来となったと言われる井戸の存在、千葉県では珍しい双体道祖神(そうたいどうそじん)がいくつもある事、千葉氏の居城、本佐倉城(もとさくらじょう)跡、など、いくつか訪れたいポイントは決まったが…。
時期が悪い。8月だ。
暑いのが苦手な私がどうやって回るか…。マイカーも考えたが懇親会もあるという事なのでレンタカーあるいはタクシー???
ところが、お勧めの所はどこかとお尋ねしたら、こんなお返事が。
「おすすめの観光スポットですが、実は私も考えていたのですが、徒歩圏内で回れそうなところが難しく悩んでおりました。そこで、内部で相談したのですが、ぜひ車でご案内させていただきたいです」
お仕事時間にお手間をかける事は非常に申し訳ないが、町の保健師さんとしても呼び寄せた高齢者が町内で倒れる事を危惧されたのであろう…。ありがたくお願いする事にした。


8月19日、まずは上野に向かう。酒々井にはJR東日本と、京成電鉄の2路線が通っていて、今回は京成を選ぶ。というのは、多分、乗った記憶が無いからだ。上野公園の西郷さんのすぐ近くに京成上野駅があるのは知っているが「乗り鉄」というわけでもないので、用事が無ければ乗らない。JR上野駅のアメ横に近い改札を出ると、もう右斜め前が京成上野駅だ。

中に入ると、既に乗車予定の特急がホームにいた。

特急成田空港行きなのだが、特急券や指定席券不要の普通の通勤電車である。発車した時はとても空いていたが、JRとの乗り継ぎ駅の日暮里から、大きな荷物を持った旅行者らしき人々が増える。
ピッタリ1時間で、京成酒々井駅に到着。KさんとTさんのお迎えを受ける。

周囲にはせいぜい3階建てくらいの建物しかない、何とものどかな駅。
のどかな子どもの像があって、夏空を背景に爽やかそうな写真となったが、実際には爽やかという言葉はそこには存在せず、とんでもなく暑い…。

迎えに来て頂いて、本当に良かった。自力で無理していたら、講演会場に辿り着けなかったであろう。
そこから5分とかからない所に、最初の訪問地。小さな神社だ。

中川水神社。その境内に双体道祖神がいらした。

道祖神はご存じ? 道の脇にいらして、集落を守ったり旅人を守ったりしてくれる神様だ。
たいていは一人なのだが、双体道祖神といって、二人一組の場合がある。長野とか群馬とかでは双体もよく見られるのだが、全体として多くはない。千葉県にはほとんどないらしいが、それがなぜか、酒々井町辺りにだけ、何体もあるというのだ。
この道祖神は、何か、仲の良い老夫婦が寄り添って腰掛けてひと休みしているようなお姿。

道路拡幅で他の場所からこの神社に引っ越してきたらしい。
1~2㎞くらい移動して、次は、いよいよ地名の由来の場所へ。

解説板をそのまま。

まあ、つまり、親孝行を讃える昔話ってところか。
解説板の左手がこんな感じ。

左側の井戸には、板の内容を音声で解説してくれる装置も設置されていた。

井戸の中にはほんの少し、水らしきものも出ていたが、酒かどうかは確かめなかった。
ちなみに、この景色の中で最も重要なのは、実はこれだと思う。

先ほどの解説板の左端の「注」に書かれている「下総式板碑」というのがこれだ。
「板碑(いたび)」というのは解説にもあるように鎌倉~室町時代の仏教信仰の産物。中央あたりの模様みたいなものは「梵字(ぼんじ)」と言って、古代のインド文字みたいなもので、この場合は解説にあるように「阿弥陀如来」を表す記号のようなもの。
だから、酒の井戸の伝説とは関係なさそうではある。
車で移動、本佐倉城跡に。途中の景色。

週末、猛烈な台風が千葉をかすめて東に去ったが、それで倒れた稲たち。大きな影響はなかったようではあるが。
そして、本佐倉城跡。

城跡なのだが、こんな感じで、これ以上立ち入ることは困難な様子。
ただ、部分的に立ち入れそうな所があって、

妙見神社という、この城の主、千葉氏の守護神の神社だった。
この近くにも、双体道祖神。

そして、そのすぐ近くにも双体ではない道祖神と板碑らしきものがあった。


続いてランチにお連れ頂く。地元では人気のお店らしく、町が出している観光ガイドにもお名前が出ているのだが、直接お店の許可をもらわなかったので名前は一部伏せて「し〇い亭」としよう。12時前に入ったので空いていたが、出た時には待ち人が外に沢山いらした。
冷やし中華を頼んだのだが、出て来たのはこれ。

刻まれたゆで卵がたっぷり入っているクリームコロッケを小皿にどけてみると

ハムやチャーシューではなく、焼き肉が載っている。
かなりのボリュームで、何とか完食。もちろん美味しかった。
食後にも観光は続く。

経胤寺(きょういんじ)本堂。やはり、千葉氏ゆかりのお寺で、町指定の文化財。酒々井では最古の木造建造物で延宝3年(1675年)の築造とのこと。
そして、小さな小さなJR総武線の南酒々井駅で、記念撮影。

飯沼本家という「甲子(きのえね)」という酒を造っている所では合成写真の撮影もして頂き(そういう設備があったのだ)、

一部を見学して、

せっかくだから、ちょっと珍しい酒も買い、

やっと講演会場に入る。
ちなみにこの酒、「リンゴ」と書いてあるがれっきとした純米吟醸酒。リンゴ酸を多産する酵母を使用したためにこのような名で、リンゴ酸は白ワインと関係が深いが、それを思わせるなかなか爽やかな酒であった。
会場は町の中央公民館。

町のO課長にご挨拶頂いたりしてしばらくしてから、やっとお仕事。


「印旛郡市保健指導者研究会 保健師・看護師部会」という集まりでの話で、テーマは「子育て世代に多い精神疾患と支援のポイント」。酒々井町の他、四街道市、白井市、富里市、印西市、成田市、栄町、八街市、佐倉市の皆さんの集まりだ。個人的には佐倉市だけ行った事がある。国立歴史民俗博物館があって、そこに行っただけだが。
私のお喋りの後に「自殺・精神保健福祉について」という事業検討会があり、各市町の取り組みの発表が行われた。
こういう交流はとても大切だと思う。情報交換のみならず、近隣市町村の関係者の顔を知る機会にもなり、何かの時に助け合える。
昔は今よりもこういった交流が多かった気がするが、最近は各自治体が自分の地域だけで精一杯なのか、減っている印象がある。
その会も傍聴させてもらって、お仕事終了。
公民館の中にも郷土資料や歴史に関する展示があった。

さて、懇親会。Tさんが先に会場まで車で送って下さって、一足先に会場入り。「ぐりーんはうす」というJRの酒々井駅近くの韓国料理店。撮影の許可は頂いたが、混むのは嫌だしあまり宣伝したくないという感じのご主人の意向をくみ、とりあえず2階のお部屋の床の間(? 韓国にも床の間ってあるのかな)のような所の写真だけ載せておこう。

今日案内して頂いたKさんとTさん、若手保健師のNさんとT君も来て、5人での懇親会となった。
酒々井町は8人の保健師。うち2人が男性だと。比率で言えば25%! そんなのは聞いた事が無い。
ここには書く事が出来ない完全オフレコ的内輪話に花が咲き、あまり食べる機会がない韓国料理を堪能して時間が過ぎる。最後に記念撮影もしたので、旅行記に載せて良いかと尋ねたところ、T君が顔をぼかしてほしいと言っていたので、掲載は見送る。
帰りのJRは多少遅れたものの、無事に帰宅。埼玉に着いたら町がびしょぬれ。かなりの雷雨だったらしいが、途中の電車でも、雨雲には会わなかった。
高齢者を猛暑からお守りくださった酒々井の皆さん、本当にありがとうございました(^.^)(-.-)(__)


さて、冒頭の疑問に戻る。何故「しすい」なのだろうか。
あ、その前に、もうひとつ。
酒の井戸の話、これは、「養老の滝」の話とよく似ている。居酒屋のチェーンではない。岐阜県にある滝にまつわる話だ。
―あれ? 岐阜県! これも岐阜だったか…。なんだ、案外、岐阜の事、知ってたなぁ(;^_^A―
青年が薪を売って稼いだ金で老父の好きな酒を飲ませたかったが、貧しくてなかなか買えない。
ある時、山奥の滝で滑って転落して気を失ったが、気がつくと酒の匂いがする。滝の水が酒なのだ。
でもって、それをひょうたんに入れて持ち帰って老父に飲ませると、老父は喜ぶどころか若返って元気になっちゃった―、と、まあ、そんな話だ。
ほら、井戸の話と似てるでしょ。
町の教育委員会が掲載している「酒々井風土記」というサイトにも、やはりそれとの関係性が取り上げられていた。

■酒々井町公式サイト(town.shisui.chiba.jp)

サイト内検索から「酒々井風土記」「1 酒々井のこと」でご覧になれます。
https://www.town.shisui.chiba.jp/static/chunk0001/fuudoki/page01/page01.html

そして、「しすい」の語源は印旛沼近くのこの辺りは井戸が多くて、よく水が出るから「出水(しゅすい)」、それに豊かなイメージの字である「酒」をあてたのだろう―ともあった。
つまり、「出水」→「酒々井」→養老の滝の伝承が入ってきて、こりゃピッタリだ→じゃ、そういう事にしちゃおう→物語があとづけで完成―というのが真相のようだ。
教育委員会のサイトによると、あの「板碑」もどうやら伝承にこじつけられたものらしい。
発音については、「しゅすい」→「しゅしゅい」→「しすい」は、言い易さの関係で良く起きる変化なので、大きな問題ではなさそうだ。
地名って面白い。
次は、東京の江戸川区、そして、昨年度に続いて愛知県幸田町と続く。

著者
藤本裕明(ふじもと・ひろあき)
分類学上は霊長目ヒト科の♂。立場上は一応、心理カウンセラーに属する。自分の所の他、埼玉県川越市の岸病院・さいたま市の小原クリニックなどで40年以上の臨床経験があるが、年数だけで蓄積はおそらく無い。
岐阜の次の22番目の話が来た。福岡だ。まだ詳細は決まってはいないのだが。雑誌の連載が休止しているのに思い出して頂き、こんなにありがたい事はない。47都道府県の折り返し点が見えてはきたが、あと2つが、遠い気もする…。
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