WEB連載

帰ってきた「閑話ケア」……ときどき「講演旅行記」

第16回 講演旅行記-福岡県 福岡市(通算 第145回)

2024年の8月、福岡市のY保健師からお問い合わせフォームを通して以下のような連絡が来た。
「突然のご連絡で失礼いたします。福岡市役所の保健師で『保健師協議会』という自主組織があり、そちらで年1回研修会を行っています。R6年10~12月頃に19:00から1時間程度講演(1回)をお願いできますでしょうか。交通費の捻出が難しいためオンライン形式でお願いしたいと思っております。ご検討よろしくお願いいたします。」
福岡! しかし、オンラインとの事。とりあえず以下のようにお返事した。
「オンラインですか…。やった事が無くて…。一度だけ、地域保健編集部主催の来場者と配信二本立てというのを経験した事はありますが…。目の前に人がいて、皆さんの表情や反応を見ながらでないと
喋れないのです(;^_^A
そんなわけで、お引き受けできないかもしれませんが、具体的にどんな内容をイメージされているのか、一応お知らせ頂けますでしょうか。よろしくお願いします(^.^)(-.-)(__)」
その私からのメールへのお返事で、以下のような事がわかった。
福岡市には200人の保健師がいるが、子育て中の職員が多く半数程度の参加になる。過去に私が講演したテーマ「心が軽くなるコミュニケーション術~住民十色、関わり方の極意教えます~」で、やってほしい。Yさんご自身が「閑話ケア」を読んで下さっていて、それで興味を持たれた―。
200人もいる事にビックリしたが、人口が160万人を超える政令指定都市だから当然なのかな。
読者からのご依頼だし、前向きに考えたかったが…。
相談室のパソコンにはオンラインのアプリもなく、ダウンロードしたとしても使い方を知らず、その場で反応を見ながら喋るやり方の私には、どうしても難しい。
講演料を提示して頂いたが、それだったら、12月初旬の平日とかならば飛行機利用の場合、超早割の格安プランがあって、ご提示の上限金額程度で往復可能だから、手元に1円も残らなくても行っちゃうというのも有りだし、それがダメなら、皆さんから「これを聞きたい」という項目を出して頂いて、それに対して、「福岡市の保健師のための閑話ケア」とでもいうものを書いて、送ります―とお返事した。
これが精一杯のお返事だった。
数日後、Yさんから「相談の結果、旅費をお支払いして福岡にお招きしたいと思います。」だと!
講演旅行22番目の訪問先が決まった! あとでお伺いしたが、私の精一杯のお返事をもとに会長・副会長と相談した結果、「先生の誠意にこちらもお応えしたい」と考えて下さったそうだ。
双方の都合と格安プランの設定を合わせ、12月5日(木)に行く事が決まった。千葉県大網白里市講演の数日前という過密日程になったが、まあ、何とかなるだろう。


久しぶりの飛行機。プライベートで飛行機に乗って旅行するような事は基本しないので、飛行機に乗るのは、前の講演旅行で乗った時以来。調べたら、2017年6月末の鹿児島市訪問以来だから、何と7年半ぶりの搭乗だ。その前が2017年2月の山口県、その前が2016年12月の奄美大島だったから、その頃は、年に何回か乗っていた感じで、もう乗り慣れたような気になっていたのだが、色々と忘れてしまっている…。
今回はJALだが、前に乗った時に使っていたアプリとはやり方が変わっていたし、手持ちのモバイルバッテリーは機内持ち込み可能かどうかとか、色々調べて日々が過ぎて行った。
福岡に行くのはおよそ40年ぶりである。前に行ったのは博多での学会参加が理由で、新幹線を利用して行き、豚骨ラーメンを食べたものの、観光は一切できなかった。だから、今回は少しでも観光したい。福岡空港入りが13:05の便。講演はその日の夜だから、それまでの時間と、翌日の午前中で回れる場所を調べたり、土産を調べたり。
福岡市ではYさんから連絡役を引き継いだ保健師2年目のKさんが、観光などについても色々調べて教えてくれたが、彼女の出身は長崎県。しかも福岡市は2年目だからあまり詳しくないと言う。
そこで珍事が発生。
福岡の直後に行く大網白里市のY保健師が北九州市出身で、福岡に行くと言ったら色々とアドバイスしてくれたのだ。何だか不思議なご縁だった。

福岡に向かうJAL315便。久しぶりだが準備は万端。問題なく乗れるはずだったが…。保安検査で引っかかった。何の事はない。腕時計の外し忘れ…。まったく、情けないが不慣れとはこういうものだ。
離陸が若干遅れたが、飛行機は問題なく飛び、福岡空港着陸直前のモニターでは、こんな風景が映った。

羽田と違って街中に降りて行く。福岡の人にとっては、これが当たり前なのだろうな。
機のコントロールはさすがで、見事にライン上に着陸!

空港で先に土産を買う。というのは、翌日、大宰府の観光を企てていて、その時に荷物を持っていたくない。だから、先に買い物をしてスーツケースに入れ、翌朝ホテルを発つ時に宅配便で送っちゃおう―という事だ。岐阜の講演旅行で2日目に関ヶ原に行こうとした時に思いついた方法で、これはなかなか便利だ。買い物の後、空港で豚骨ラーメンを食べ、地下鉄に乗って、まずはホテルへ。
関東で普段使っている交通系ICカードが福岡の地下鉄でも普通に使える。日本って便利だ。しかし、
埼玉でチャージして、福岡でタッチして、その分のお金はどこでどう処理されて清算されるんだろう?
不思議と言えば不思議過ぎませんか?
中洲川端駅近くのホテルに荷物を預けて、散策開始。まずは徒歩圏内の櫛田(くしだ)神社へ。

こんなアーケード街を通ったりして向かったその神社は「博多祇園山笠(ぎおんやまがさ)」で有名な神社だ。「山笠」という大きな山車(だし)と神輿(みこし)の合体版みたいなものを威勢よく引き回すのをテレビで見た事はあるが、詳しくは知らない。

櫛田神社。

そして、境内に飾られている山笠の前後両面。

通常は祭りが終わると解体されるらしいが、これだけは常設してあるようだ。大きさが写真では伝わりにくいが、なかなか見事。
境内には、このお祭りの装束をしているナゾの像が…。

意味はよくわからないが、かわいい。


中洲川端駅に一度戻って、地下鉄で空港とは逆方向に3駅、大濠(おおほり)公園駅に移動。
その名の通り、「大濠公園」がある。

昔は、福岡城の外堀の一部で、博多湾まで現在でも直線距離で2㎞もない所。だから、海ともつながっていたのだろうと調べると、その通りであった。現在は淡水化されているらしいが。


ところで、ここでちょっと疑問。私は福岡市の観光をしている。到着した空港は福岡空港。
でも、さっきは博多山笠を見て、今は博多湾近くにいる。新幹線には博多駅はあるが福岡駅はない。
混乱してきませんか? 福岡と博多ってどんな関係なんだろう??
博多は、今の地名では福岡市博多区。つまり、形式上、福岡市の一部に過ぎないように見えるが、どうやらそうでもなさそうだ。江戸時代、西の武家の町を福岡と呼び、東の商人の町を博多と呼んでいたそうで、明治時代に福岡市になってからも博多市に改称を求める声があり、投票が行われた事があったらしい。どっちも代表的な名称で、共存した結果、駅名と空港名などのように使い分けができたようだ。


博多湾には近いが、ここ大濠公園は福岡城の外堀だったわけだから純粋な福岡地域なのかな。住所も中央区だし。さて、その公園に戻ろう。
沢山の鳥がいる。

これは前回旅行記で愛知県の海にもいたオオバン。

マガモのオス。近くにメスもいた。

カモメ類。たぶん、ユリカモメだと思うが、ウミネコかも知れない。鳴き声とかクチバシの色とか、判別材料が得られなかった…。
そして空には沢山のトンビ(正式にはトビ)

カラスもいたが、カラスは自分より大きい肉食のトンビが大嫌いなので、多くの場合、喧嘩が起きるのだが、ここでは私がいる間には全く争いが無かった。トンビの数が多過ぎて、カラスも諦めているのであろう。それにしてもすごい数で、電線に止まっているトンビは初めて見た。

こんな像もあった。デーメーテールというギリシャ神話の女神。沢山の鳥を見た後だったから、鳥の真似をしているポーズに見えた。
公園の奥には日本庭園があって、なんと、私の年齢だと入場無料(;^_^A

何組かの花嫁花婿装束の人達が、ここで写真撮影をしていた。
その隣が福岡市美術館。

正面から見ると、こんなオブジェも。

更に中に入ると、

どこかで見た事のある力士、と思ったら、昔の「小錦」がモデルだそうだ。
館内は撮影不可の所が多く一通り見た後、隣接する福岡城跡に向かう。

紅葉真っ盛り! …って、12月だけど…。
建物は一切残っていないが、石垣が見事。そして、解説板にはCGで再現された写真があったりした。

多分、ここの事。

登って振り返った景色。

一番高い所に上がると。現代的な風景が。

遠くに尖がって立っているのは福岡タワーというものかな。
そして、石垣を下りながら空を見上げると、

空港に向かう便が頻繁に飛んでいる。石垣との時代的ミスマッチが良い絵になっている。
この後、「鴻臚館(こうろかん)」という、飛鳥、奈良、平安時代の外交や貿易関係の館跡の展示館に行くが、入場時間を若干過ぎていて入れず、近くの「福岡城むかし探訪館」を見学して、この日の見物は終了。


とはいえ、この時点でまだ17時頃。今回の講演は、福岡市内の保健師たちが各地から集合するために、18:20受付開始で講演そのものは18:50~なのだ。会場は見物の最終地点からは徒歩で15分程度の所。
1時間程度は時間潰しをしなくてはならない。さて、どうしたものか―と歩いていたら、ちょうど良い喫茶店があって、そこで休む事にした。
ここまでで15,000歩くらい歩き、イイカゲン疲れて、喫茶店でぼんやりしながらロイヤルミルクティーを飲み、「俺は一体、何をやっているんだろう?」と考える。仕事で福岡に来ているはずだが、仕事はこれから1時間半程度だけ。更に明日は太宰府観光の予定だ。
それまでご縁が無かった土地に呼んで頂いての講演では、まあいつもこんなパターンなのだが、午後に散々歩き回って、外はすっかり暗くなってきて、喫茶店で一息つきながら考えると、ちょっとヘンな気もしてくる。一般的な講師ならば、現地入りしてからも資料を読み返したりして、どこか観光地に立ち寄るとしてもせいぜい一か所程度にして、講演に備えるのかな。翌日観光するかどうかは別として。時々、「講演なのか旅行なのか」と突っ込まれる事があるが、確かにこれだと「講演のついでに観光旅行」じゃなくて、「観光旅行の合い間にちょっと講演」だよな。
…なんて、考えても仕方が無い事をぼんやり考えるうちに時間が近づき、会場へ向かう。

「あいれふ」という名の、福岡市の保健所や健康づくりサポートセンターなどが入る立派な建物だ。
会場は7階の研修室。続々と保健師たちが集まる場面に私も参上。不審人物と見とがめられる事もなく、すぐに講師とわかって頂き、控室へ。連絡を取り合っていたYさん、Kさん、そしてS課長、N係長ともご挨拶。
そして、講演そのものはいつものように、何となく終わる。後に頂いたアンケートによると、参加者は74人だったようだ。私の講演は持ち時間の前半だけ喋り、後半は全員に配布した質問用白紙を回収してすべてに回答するという、ちょっと特殊なやり方なのだが、今回はその人数の上、時間も短めだったので時間内に収まるかどうかが問題であったが、時間ピッタリに終了。内容はともかく、そこだけは見事だったと自画自賛┓(´―`)┏
終了後は、先ほどご挨拶した4名に若い保健師2人が加わって7人で21時から懇親会。海鮮中心の居酒屋にお連れ頂く。刺身の種類も豊富でイカの活け造りもあって、豪華であった。
九州というと、どうしても焼酎とイメージするが、美味しい日本酒もあった。ちなみに、12月に埼玉でも福岡市の酒を見つけ、買った。それまでだったら気づきさえもしなかっただろう。
懇親会では、私一人が飲酒なんて時もあるが、この時は皆さんもお飲みになり、2時間はあっという間に過ぎた。帰りは土産まで頂き、ついでだからと、タクシーでホテルまでお送り頂いた。恐縮。


翌朝、ホテルで朝食を済ませ、荷物は送り、大宰府に出発。地下鉄で一駅、「天神」で下車。派手な地下街を通って「西鉄福岡」へ。

天神というのはこの辺の繁華街として有名で、ちょうど現在NHKでやっている朝ドラでもギャルたちの遊び場所となっていたが、地上に出てみても、昨日の櫛田神社近辺の街並みと、大きな違いはなかった。
30分弱くらいで太宰府駅に到着。

参道を歩きながら、名物の「梅が枝餅」の店を探す。沢山の店があるが、下調べで発祥の店らしき「かさの家」を見つけていたのでその店を探して、購入。

熱々の焼きたての餡餅。美味しかった。後日談だが、S課長のお気に入りもこのお店だそうだ。

太宰府天満宮にお参りする前に、紅葉が美しいと言われている光明寺に行くが…。

残念ながら入り口付近だけで、内部に入る事は出来なかった。

そして、これまた天満宮の前に、九州国立博物館に向かう。

ここの周辺の紅葉は、なかなか良かった。

博物館の正面はこんな感じ。鏡張りで、これもなかなか美しい。

中には建物の模型も展示されていた。

言うまでもなく沢山の収蔵品があって、沢山写真を撮ったが、興味のない方もおいでだろうから、少しだけ紹介。
触って鳴らせる銅鐸のレプリカと本物。

現在のパキスタンで出土した「釈迦菩薩立像」。あっちの方の人の顔立ちだ。

出家する前の王族だった青年時代の姿らしい。
次のは、「再現文化財」だそうだ。そんなジャンルがある事を初めて知った。

「東大寺伝月光(でんがっこう)菩薩立像」。1891年、現在の東京藝大の彫刻科初代教授が奈良時代の名品を摸刻したものだそうだ。
次は、「阿弥陀如来坐像」。こっちは重要文化財。鎌倉時代のものだそうだ。

仏像って、何だかホッとしますよね。
ちょっとかわいかったのが、こちら。

中国出土の「二仏並坐像」。千葉県酒々井町の旅行記で書いた「双体道祖神」を思い出した。
私がこの博物館を訪ねた一番の目的は…。実は、果たせなかった。期間が決まって展示されているらしくて、その時期ではなかったようだ。
見たかった物は「針聞書(はりききがき)」という書物。織田信長の時代の、一種の医学書だ。
針というのは鍼灸の針の事で、針の打ち方や体内に住むとされる虫の姿、臓器などの図説の本らしいのだ。見る事が出来たのはそのレプリカの一部だけだったが、こんな感じ。

この最後の写真の右側だけをアップしたのがこれ。

何だと思います? 蟯虫(ぎょうちゅう)なんですよ! そう、あの寄生虫のギョウチュウ!!
でも、現代で言う寄生虫とはだいぶわけが違う。
庚申(こうしん・十干十二支の、かのえさるの日。60日に一度ある)の夜に体から抜け出して、閻魔大王にその人の悪事を報告しに行くという厄介な虫で、だから、その夜は寝ちゃうと蟯虫が出て行っちゃうから寝ないで一晩明かすという、徹夜の酒盛りの言い訳みたいな虫なのだ。現代の寄生虫に同じ名前が使われているからややこしいが、何というか、実に素晴らしい想像(創造)力の産物であり、寄生虫のそれとは全くの別物。
そんな感じで、もともと寄生虫に興味がある私としては、あまりにも愉快な虫の紹介の書だから実物を見たかった…。
私がこれを知ったのは、知人がだいぶ前に九博の土産として、この蟯虫の小さなぬいぐるみをくれたから。で、私もそれを探し、今回、ぬいぐるみではなくてビン詰めの虫を2つ買ってきた。
知人からの蟯虫とのスリーショット。

そしてビン詰めの蟯虫と「肝虫(かんむし)」

前夜の懇親会でこの話をしていて、そのまま寄生虫のいろいろな話が展開した結果、後日頂戴したメールでYさんは「懇親会では寄生虫等々の話が一番記憶に残っていますが」とおっしゃるし、Sさんまでもが「しかしそのあと懇親会のサナダ虫の話が、私の中では研修会以上に印象に残ってしまい、今朝出勤前にも有鈎と無鉤のサナダ虫のことを考えてました」
だと。福岡市の皆さん、公開時期はたしか2月とか言っていたので、私の代わりに是非見に行って下さいませ。


太宰府天満宮は、ともかく受験生とおぼしき学生たちと外国人ばかりだった。詳しい説明は抜きでいくつかの写真を紹介しておこう。

あ、この鳥居はね、九州最古で、700年前の物だって。

これは令和5年から3年かけての大改修のための仮殿だそうだ。

そして、さっきも牛が居たが、また居た。

さっきのは昭和60年と書いてあったが、こっちは文化2年(1805年)の「御神牛」だそうだ。ツヤツヤなのは、この牛の体を撫でると、自分の病気が治るらしくて、とげぬき地蔵の「洗い観音」とか、各地にいらっしゃる「おびんずる様」みたいなものだからだろう。
天満宮の宝物館も見るが、福岡城を築いた黒田長政の絵だけ紹介して以下省略。

天満宮の庭部分を散歩したりして、駅前から福岡空港国際線ターミナル行きのバスに乗り、国際線から国内線への連絡バスで移動。旅を終える。


空港の食堂で、ビールと共に、おでんと博多名物だという一口餃子を頂く。昼ビールなんて旅の特権。

美味しかったが、驚きが一つ。餃子にはラー油って思いません? それが、柚子胡椒なのだ。
おでんにも。そして昨夜の懇親会での刺身にも、ワサビと共に柚子胡椒があった。
ちなみに、我が家には柚子胡椒は常備していない。九州北部文化圏の特性なのだろう。後に行く大網白里市のこの辺出身のYさんの家には常備してあると言っていた。
そして、帰りの飛行機で、ちょっと珍しい体験。
いつもは子供と同じで外を見たいから窓際の席にしか座らないが、今回、足元が広そうな、非常口前という席を初めて確保してみた。3人掛けの真ん中。緊急事態の時には乗務員を手伝う―という条件付きの席。搭乗して席に着くと、ステキなCAさんが、その旨、あらためて説明してくれる。
そこまでは良かった。
離陸前にシートベルト着用の指示があり、いつものように普通にそうしていたら、ナントそのCAさんが、私の真正面にこっちを向いて着席したのだ。そう、乗務員席が目の前にあったわけだ。そんなに遠くはない位置。2mくらいかな。
ステキな女性が目の前に居るのは、それはそれは眩しくて、大変結構な事なのだが…。
困った。どこを見ていれば良いのかわからないのだ。普通なら目の前にモニターがあるが、モニターは彼女の頭上。スマホは機内モードで機内Wi-Fiの接続は今一つよくない。急に寝たフリするのも変だし、左右には小父さんが座ってるからキョロキョロもできない。かといって、CAさんをジッと観察するのも失礼だ。離陸して機が安定すると、彼女はお仕事に席を立ったのでやっとホッとできたが、当然、着陸前にはまた同じ事態になる。
講演などではまるで緊張しない私が、思わぬところで、変な汗をかく―というオチが待っていた…。

著者
藤本裕明(ふじもと・ひろあき)
分類学上は霊長目ヒト科の♂。立場上は一応、心理カウンセラーに属する。自分の所の他、埼玉県川越市の岸病院・さいたま市の小原クリニックなどで40年以上の臨床経験があるが、年数だけで蓄積はおそらく無い。むしろ、蓄積より忘却が増している気がする。
去年の旅行記が、もう一つ残っている。皆さんは知らないかもしれないが、私はトラベルライターやエッセイストの他にも仕事を持っているから、なかなか書く時間がとれなくて四苦八苦している。物忘れ力は日々強化されてきていて、それとの戦いもある。早く書かないと忘れてしまうのだ。好き勝手な事をしているはずなのに、苦労しているってなんだかなぁ…。
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