なな先生のことばの発達教室
第7回保護者に伝えるべきは客観的データ or 経験談?―発達相談支援の現場から
「うちの子もこんなことがあったよ」「別の子に似たようなことがあったよ」経験談の交換は、市井の生活者としての我々にとっては、ごくごく当たり前で、ありふれたことかと思います。どんな保育園・幼稚園に通っている、習いごとはどんなふうに選んだ、こんな病気をした、こんな対人トラブルが起こった……。オフラインのみならず、オンラインの場でも、あちこちで子育ての経験談がさかんに交わされています。
誰かの経験談を聞くことで、前もって準備できたり、準備することで気持ちに余裕ができたりします。自分と同じ経験をした人がいれば、共感したり励まされたり癒されたりするかもしれません。生活者としては、経験談は役立つ情報であり、互いのコミュニケーションを円滑にするものでもあります。ただし、支援者としてはどうでしょうか。今回は、相談や支援、対人援助をなりわいにする者として、「相談支援の場面で経験談や具体的な事例をどのように扱うとよいのか?」というテーマを考えたいと思います。
自分の経験を話すのは自己開示でもある
以前、私の子どもが検査入院をしたことがありました。お世話になっているベビーシッターさんに話すと、「私の子も、入院したことがあって……」と、ご自身の経験を話してくれました。相談に乗ってもらったわけではなかったのですが、話してくださったことでその方に対して心の距離が縮まり、心強く感じました。「そうか、支援者が自分の経験談を話すのは、なにも情報提供や助言ばかりではなく、ほかにも、自己開示の側面もあるのか」と、改めて気付かされました。(*注1)
経験談は、あくまで、"その人の場合"
ご存じの通り、個別の経験は、たまたまその人に起こったことにすぎず、一般化はできません。支援者の立場から、体験談や誰かのエピソードを相談者に話す難しさはここにあるでしょう。上手くいったケースがあったとしても、その裏側には環境や属性などさまざまな条件があり、その組み合わせによって起こったものかもしれません。諸条件が似通っていた場合であっても、そのお子さんやそのご家庭が、たまたまそうだっただけで、同じ悩みや困難を持つ別の方には当てはまらないかもしれません。エビデンスに基づく助言や介入を大切にしたい立場としては、「経験談に引き寄せてお話したほうがイメージしやすく、この方によく伝わるとは思うけれど、この場で話すのは適切だろうか」と悩み、思い留まることもしばしばです。
データを示すか、経験談を話すか
たとえば、ことばにつっかえたりつまったりする吃音。発達性の吃音(*注2)の多くは、2~5歳の幼児期に始まります。また、幼児全体の20人に1人(5%)ほどの割合で起こることが分かっています。しかし、そのうちの7割ほどは、特別な介入をせずとも徐々に消失していきます(*注3)。私たちは、相談に来た方に、「自然治癒率は7割、残りの3割ほどは学齢期や成人になっても吃音が続くことが分かっています」と伝えることができます。「そうか、7割ということは半数以上は消えていくのか」、と安心する方もいるでしょうが、今まさに吃音が出ている幼児期の我が子が、「7割」に該当するのか「3割」に該当するのか、調査データはそこまでは教えてくれません。データは抽象的なため、不安とモヤモヤを解消できない方もいるでしょう。
では、「以前同じように相談に来られた吃音のお子さんは、しばらくしたら、吃音が落ち着いていきましたよ」とお伝えするのはどうでしょうか? 経験談や具体的な事例を共有することで、親御さんに安心させることができるかもしれません。けれど、お子さんごとに状況は異なるため、あくまで参考程度に留めてもらうことも必要です。また、親御さんの不安は、「なおらなかった場合どうなるか」具体的なイメージが無く、漠然としていることから来ているかもしれません。「自然に吃音が消えた事例」とあわせて、「学齢期や成人後も吃音が続いている事例」についても、いろいろ知っていただくとよいかもしれません。具体的な事例を一例ではなく複数お伝えすることで、「吃音があっても大丈夫」「吃音があってもなんとかなる」のように、保護者の不安のサイズを小さく、あるいは状況に合った適切な大きさにするお手伝いができたらと思います。
「うちの子も喋るのが遅かったけど今では大丈夫」
そのほかにも、こんな話を耳にすることがあります。我が子がことばを話さないので相談に行った親御さん。「うちの子も3歳まで発語が無かったけれど、3歳から急に話すようになったから、あなたの子も大丈夫よ」と経験談をもって励まされたとのこと。実際的で具体的な例を知ることができる、ことばの発達が一律・一様ではなくさまざまであることを知る、などの利点があるかと思います。ただし、そのお子さんもそうか、ということは現時点では分かりません。それから、親御さんはお子さんのことばの出る・出ないに関して、「気にしないで」と励ましの対応が取られがちであることについても、一考の余地があると考えます。周囲からの励ましのひとつひとつは善意から来る小さなものであっても、たびたび受け取っている人にとっては、負担になっているかもしれません。とりわけ、ことばの発達に関しては、多数派の子どもが、放っておいても・勝手に・いつのまにか・特別に教えなくとも獲得していくという過程を辿るため、周囲の育児経験者からの励ましも、「あまり心配しないで」「そのうちことばは出るから」など、経験に根差したものになりがちです。しかし、そうではない事例も少数ながらあり、そうした例に出会うのが健診や発達相談の現場かと思います。「まずは聴力検査を必ず受けて」「発語ではなく理解の面に注目して」「ノン・バーバル(非言語)のコミュニケーションが育っていることが大事」など、励ましのほかにも、具体的な行動に結びつくようなとらえ方を提供していただければと思います。
「励ましてラクになりたい」のは、支援者側では?
目の前で落ち込んでいる、不安を抱えている人に活力を取り戻してほしい、笑顔になってほしい、と相談を受ける側の私たちがつい願ってしまうのは当然のこととはいえ、私たちが肩の荷を降ろしてラクになりたいがために、「大丈夫ですよ」「心配要らないですよ」を、言ってしまわないよう気を付けねばと個人的に思っています。励まされる側としては、頼もしい言葉を添えてもらうと、フッとラクになることもないわけではないですが、たった一言が現実世界で直面する困難をたちどころに解決してくれることはそうそうありません。それよりも、当事者や関係者が抱える苦しさやつらさを否定せず、前に進めるタイミングが訪れたらまず一歩、次の行動を選択できるよう提示する、選択肢から選び取る助けとなる手がかりも差し出す、そうした役割に徹するほうが、ずっとお役に立てるのではないでしょうか。もっとも、私自身はどちらかと言えば鈍感なほうで、「ああ、あの方は励ましの一言を掛けてほしかったんだな」、と後から振り返って気付くこともあります。このあたりのさじ加減は本当に難しいですよね。
ことばの相談をきっかけに難聴がみつかった
「○○歳で言葉が出た子もいるから大丈夫」と言わなくて本当によかったなあと思う事例もありました。意味のあることばを話さないという主訴で相談にやってきた2歳後半の男の子とお母さん。ニコニコと近づき、ことばの相談室の棚の上のほうにあるおもちゃを取ってほしそうにします。
そのお子さんは、対人コミュニケーションの面は非常によく、少し緊張しながらも表情豊かに打ち解けてくれます。上着を脱いだら椅子のそばに置く、太鼓をばちで叩く、といった身の回りの物品や周囲の状況の理解ができていることも観察から分かりました。私はことばの理解面を確認するために、絵カードをいくつか並べ、「ひこうき」などと取ってほしいカードのことばを言いました。しかし、お子さんはカードを選ぼうとはせず、こちらを見てニコニコと笑うだけです。「うぇー」や「きゃあー」などの発声はあったのですが母音の響きがやや曖昧なこと、「んまんま」のような喃語の反復するリズムで声を発する様子が見られなかったこと、こちらの真似をして声を出すことが無いこと、❝話している風❞のことばを発しているもののその話し方が平坦で抑揚が乏しいことが気になりました。いろいろな方向から検討してみたものの、その場では答えを出せず、大学病院での聴力検査を受けるようお願いし、その日の相談は終了となりました。後日お母さんよりご連絡をいただき、両耳の感音性難聴(*注4)が判明しました。まったく聴こえないわけではなく普段から音への反応があったので、発見が遅くなったのかもしれないとのこと。相談の際に聴力検査を受けるよう勧められていなかったら、発見がもっと遅くなってしまったかもしれない、と感謝されました。その後、お子さんは適切な補聴と公立のろう学校(聴覚特別支援学校)の幼稚部での療育を開始しましたとの報告をいただきました。
人それぞれではありますが、難聴が見つかったら、補聴を開始し、ことばが出てめでたしめでたし、という単純な話ではありません。その子がことばを獲得するためには手話がよいのか、補聴器や人工内耳がよいのか、またはその両方の組み合わせがよいのか、さまざま検討し、家庭ではお子さんに適した言語環境を整え、日々お子さんの聴こえ方や理解度に合わせた関わりを続けていくことで、少しずつことばが伸びていきます。新生児聴覚スクリーニング検査が広まってきた昨今(*注5)、ことばの相談をきっかけに難聴が発見されることはそれほど頻繁にあるわけではありません(*注6)。しかし、数パーセントでも可能性があるならば、必ず精査すべきです。「気にしすぎかも」「3歳で喋り出す子もいるから大丈夫」などの安易な励ましでその場を収めるのではなく、聴力検査につなぐことができて本当によかったと思います。
支援の現場で悩む方へ
対人援助の仕事は人と人との関係性なので、どのようなことばを掛けるべきか、定式のような正解はありません。データやエビデンスに基づいた客観的事実をお伝えすることに比べ、具体的な経験談を話すことは、イメージを与え、共感をもたらすので、時にとても強いパワーを持ちます。だからこそ、支援者の立場としては、充分に気を付けながら取り入れていければと思います。
【参考】
- この説明に、「なにを当たり前のことを」と感じる方もいることでしょう。余談ですが、このように、日頃から、会話や対人コミュニケーションの過程で生じるさまざまな出来事がどのようなものであるのか、いったん立ち止まって考えてしまう癖が私にはあります。コミュニケーション下手なりにコミュニケーションについて考え続けたいという性質が、ある意味、言語聴覚士としての適性なのかもしれません。
- 小児期に起こる吃音のほとんどは、発達性の吃音です。そのほかには、脳梗塞などの脳血管疾患・神経系の病気に由来する神経原性の吃音、トラウマ経験などに由来する心因性吃音があります。
- 発達性吃音(どもり)の研究プロジェクト「吃音の解説」をご参照ください。
http://kitsuon-kenkyu.umin.jp/index.html - 感音性難聴は、音が脳に伝わるまでの過程のうち、内耳や、それより奥の中枢の神経系に障害がある場合に起こる難聴のことです。それに対して、中耳の障害に由来する難聴のことを伝音性難聴と言います。
- 新生児聴覚スクリーニング検査について、「出生児数に対する受検者数の割合は95.2%」とのことです。こども家庭庁 令和4年度「新生児聴覚検査の実施状況等について」を参照。
https://www.cfa.go.jp/press/5d081c05-b3f7-480f-b73d-78dd592409de - 新生児の1000人に1人の割合で両耳の難聴があるといわれています。聴力の精密検査を受けられる全国医療機関の一覧はこちらをご参照ください。一般社団法人 日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会「新生児聴覚スクリーニング後・乳幼児健診後の聴力検査機関一覧」
https://www.jibika.or.jp/modules/hearingloss/index.php?content_id=6
保護者とのやり取りの引き出しを増やしたい人へ、紹介したい本
●『Q&Aで考える保護者支援 発達障害の子どもの育ちを応援したいすべての人に』
中川信子 2018 学苑社
母子保健分野で子どものことばの相談に乗ってこられた言語聴覚士中川信子先生の大人気連載を書籍化した、「保護者支援」をテーマにした本です。同じことを相談されたら、自分ならどう答えるだろうか? を考えながら、ひとつひとつの相談を読み進めていただければと思います。