保健師のビタミン

百花繚乱

第2話福寿草

海面がキラキラと光り、リビングに暖かな光がやわらかに陽だまりを作り、そこに愛猫のリンが毛づくろいをしていて、その風景の中で今このエッセイを綴っています。自分のお気に入りのカップとボールペンとカーディガンにブランケット。小道具も同じ。さあ、原稿用紙の表紙をめくる。「幸せやわー」と感じるのです。「文章を書くのって大変やねえ」とよく質問されるのですが、締め切りに追われるほどの日常ではなく、「幸せ」と自分が感じているときでなければ皆さんが読んでくださったときに「幸せ」を感じたり、もう一度「幸せ」になりたいと願ったりしていただけないと思うので、書く環境作りや自己の心との向き合いを大切にしています。

多くの脳科学者によって、脳の働きが解明されていますが、「幸せ」の定義は人によってさまざまですから難しいですね。でも、難しいけれど、大きな幸福感は別として、小さな「幸せな気分」は、日常の暮らしの中で、自分で作ろうと思えば可能なことなのです。

子育てに振り回され、保育園のお迎えに間に合わせるための電車に一瞬の差で乗り遅れ、寒い北風の吹くホームで15分も待たされ、保育士さんに「遅くなってすみません」と謝り、その帰り道に夕飯材料を買って、食材を前カゴに入れ、子どもを後ろに座らせようとしたら、バランスが崩れ、子どももろとも自転車がひっくり返って、子どもは大泣き、買った卵は割れてぐちゃぐちゃ。気が付けば私の弁慶の泣き所も血が出ている。とにかく子どもの無事を確認して、「大丈夫か?」と聞いてくださるパン屋のおっちゃんに「ありがとうございます。大丈夫です」と全然大丈夫じゃないのに、なぜか大丈夫と作り笑顔で答え、痛い足でペダルをこいで、家路を急ぐ。働くお母さんなら、こんな日常は「あるある」でしょう。

でも、そんな一瞬の小さな事故も、家に帰り、何か特別なパワーを自分で出しながら家族のためになるべく美味しい食事を作り、「いただきまーす」と家族が揃って「おいしいねえ」と食卓を囲んだときには、子どもも私も忘れている。お風呂の湯船に使ったとき名誉の負傷の傷がしみて、「アッ、痛っ、血が出てるやん!」と初めて気付く。子どもが頭を打ってなくてよかった。割れたのが卵でよかった。いびつに曲がったのが自転車の前カゴでよかった。そう考えたら大丈夫は本当だったのかもしれないですよね。

今は息子たちも社会人になり、懐かしい人生の一ページですが、私には大人になっても忘れることのできない「幸せと大丈夫」を意識させた出来事があります。

私が9歳のときに両親が離婚して、母子家庭となり、母は夜の水商売で働くようになりました。朝は近くのパン屋さんに母を起こさないように静かに買いに行き、学校から帰ると、戦場に出掛ける戦士のように鏡の前で忙しそうに髪をセットしている母に、私は必要なことだけを伝え、母は最小限の返事をするという日々でした。夕飯は近所のトラ屋という食堂(中華なのに、うどんもあったりする)に毎日、独りで食事に行っていました。コンビニや遅くまで開いているスーパーがない時代なので、友達と遊ぶ途中でも母が出勤する前にお金をもらってトラ屋に行かねばなりませんでした。今なら完全なる孤食児ですね。

ある冬の寒い日。夕方5時でもう暗く、いつものようにテレビが見える私の指定席に座ろうとしたら、お婆ちゃんが独りで座っていたので、私はその後ろのテーブルに座りました。私を可愛がってくれていたトラ屋のおばちゃんは、「花ちゃん、ラーメンでええやんな」と水を置き、しばらくして湯気の上がったラーメンが運ばれてきました。私のラーメンが来る少し前に、私の指定席のお婆ちゃんにも、ラーメンが来ました。お婆ちゃんも独りぼっちでした。後ろ姿で顔は見えませんが、小さく丸い背中でした。お婆ちゃんがラーメンを食べ始めたころ、なぜか、9歳の私はお婆ちゃんの姿に泣けて泣けて、涙がぽたぽたとラーメンに落ちました。トラ屋のおばちゃんは、びっくりして「花ちゃん、どないしたん! やけどしたか」とすぐに駆け寄ってくれました。私は座ったまま、おばちゃんのエプロンに抱きつき、「あのお婆ちゃんがかわいそうや」と言って、ワンワン泣きました。すると、トラ屋のおばちゃんは、「あほかいな、おばちゃん花ちゃんの方が、よっぽどかわいそうやわ」と言って私をギューと抱きしめてくれました。

あの涙の意味は何だったのか、お婆ちゃんの姿が自分の独りぼっちと重なったのか、今でも分かりません。

トラ屋さんは阪神・淡路大震災で全壊したそうです。食事のときに誰かと一緒に食べることができる小さな幸せを今でも大切に想うのです。幸せは、自分の心で作るものであって、与えられるものではありません。同じく震災で全壊したトラ屋さんの近くの銭湯には「銭湯すたれば人情すたる」と書いてあったことを思い出しました。
今年も小さな幸せを大切にする心を忘れないで頑張りましょうね。
さて次回は、どんな花が咲くでしょうか。

花華拝

※福寿草(別名・元旦草)の花言葉
 「幸せを招く」「悲しき思い出」

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著者
森岡花華
チャイルドケアコンサルタント。
旧姓・柴田花華。モンテッソーリ幼児教育指導者、医療心理科講師を経て民生委員、児童委員民連会、教育委員会、青少年育成委員会等で講演。
2003年から障害児の母親を心理的に支える「赤い口紅運動」を主宰、これまで約500人に口紅を贈呈。2014年、財団法人和歌山県福祉事業団より「赤い口紅運動」に対し表彰を受ける。夫が名張市の福慈会「夢眠クリニック」院長として単身赴任する中、白浜の別荘で愛猫リンと暮らす。紀南たばこ対策推進協議会評議員。

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