百花繚乱
第4話勿忘草(わすれなぐさ)
長年、多くの学生たちと一緒に日々を過ごし、数えきれない思い出を築いてきました。「花華先生」と姉のように、時には母のように慕ってくれた教え子たちの健康と活躍を願う気持ちは、歳月が経過しても色あせることはありませんが、桜が花吹雪になるころに、毎年必ず思い出しては、あらためて「幸せでいてほしい」と願う教え子がいます。
その学生は、身長も高く、清潔感もあり、イケメンで、その上、自分の目指している精神保健福祉士(PSW)への意欲もしっかり持っていました。私の講義では、毎回教室の最前列の真ん中に座って90分間、私の目を見ながら時にはうなずき、時には質問をしました(優秀なので即答できない内容も多く、私も勉強になった)。性格も明るく女子からも好かれていて、同性の中心でもあり、就職の内定も一番に決まり、「どんな親御さんなのかなあ。どんな環境で育ったらあんな性格のええ子になるんやろー」と思うほどの学生でした。
卒業して何年たったか記憶に自信がないのですが、たまたま私が仕事のために上京する機会があり、その教え子の実家が東京近郊であったことを思い出し、久々に連絡をとってみたところ、すぐに返信がありました。相変わらず律儀に学生だったころの私への感謝の言葉から始まり、PSWとして元気に働いていること、ぜひ会いたいですと、弾んだ声で再会の約束となりました。
私は、再会場所として靖国神社を選びましたが、彼は「先生が泊まっているホテルのロビーにしていただけませんか?」と答えたので、私が動かなくてもいいようにという配慮だと思い、了解しました。仕事を済ませ、ワクワクしながら教え子を待ちました。立派な社会人となって、さらにイケメンになってるかな? それとも都会暮らしでオッサンになっちゃったかな? 人のことはいえないか、私もきっと少しは変わってるだろうし……こんなにウキウキとした気持ちで人を待つなんて何年ぶりかしらと考えながら、ロビーで立ったり座ったりしていると、背後から「花華先生!」と当時と変わらぬ懐かしい声がしました。
きっと、最高の笑顔で振りむいた私の目に映ったのは、相変わらずのイケメンで、きれいにセットした髪の毛の……でも、なぜか車いすの、自慢の教え子の姿でした。「花華先生、相変わらずオーラが出ていたので、すぐ分かりましたよ」と数年前と同じ笑顔でそう言ってくれました。私は、なぜ車いすになったのか、けがでもしているのか、ギブスをしているのか、数秒でいろんな想像を巡らせました。その気持ちを察したかのように、彼は、私の想像をはるかに超えた重くて残酷な事実を笑顔で話し始めました。「先生、すみません、段差がないのでここにしていただきました。ぼくの姿に驚いたでしょう」と笑顔のまま語った事実は、あまりに衝撃的でした。
卒業後、実家に戻り、電車で毎日、PSWとして病院に通勤し始めたときのこと。ラッシュアワーで混雑している駅の階段で足を滑らせ、上から何段か転落し、人混みの中で倒れ、会社や学校に急ぐ何人もの人に体を踏まれ、気がついたら知らない病院のベッドの上だった。そのときのけがで脊髄を損傷し、動かそうとしても下半身が全く動かなくなっていて、一生車椅子の生活になってしまうと医師から説明を受けた。自分の不注意でこんな体になってしまい、ここまで育ててくれた母に対して申し訳ない。本当に自分の足は一生動かないのか、リハビリを頑張ればまた歩けるのではないか。自分は神様からこんな酷い仕打ちを受けるほどのことを他人にしてきていないのに……等々、悶々とする心の内を打ち明けてくれました。
私は、あの凛とした彼の立ち居振る舞いを走馬灯のように頭の中でグルグル回しながら、幾筋もの涙を流し、言葉が見つからず、「ほんまにもう歩けないの?」「仕事は辞めさせられたの?」と他にもっと気の利いた言葉がなぜ言えないのかと思いつつ、質問していました。「先生、患者さんへの援助は、何も体を使わなくても、一生懸命話を聴けばいいんです。自分も障がい者なので、同じ苦労談義に花も咲くんですよ。確かに最初歩けないと分かったときのショックは相当なものがありました。でも僕は、先生の知っている僕のまんまですから心配しないでください」と話してくれました。そして、「車の運転ならできますから、僕の車で靖国の桜を車窓から見ましょう」とドライブに誘い出してくれました。その後、今は結婚して幸せだとメールがありました。
時がたつ中で、私にも教え子たちにもさまざまなことがあるとつくづく思います。あの笑いころげた青春の時の中に、私も参加できていることの喜びをかみしめながら、うららかな春の日差しの中で、教え子たちの健康と幸せを祈っています。あのとき、車窓から見たいろんな草や花を私は忘れることができません。
花華拝
※勿忘草の花言葉
「私を忘れないで」「友情」
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