事例に学ぶ保健指導
第7話誰にとっての「困った?
「『病院にかかるとお金がかかって家族に迷惑がかかるから、病院には行かず、ぼっくりいくから良いんだよ』と言われる住民の方がいて困っています。明らかに体調が悪いのが分かるので、なんとかしてあげたいんです。どうしたらいいでしょう?」
保健師であるあなたにとって、このケースの何が問題なのでしょう。住民が体調が悪そうなことですか。ぽっくり逝けず、あのとき病院に行けば良かったと住民が後悔することでしょうか。それは、住民が困るかもしれないことですが、保健師さんであるあなたは何が困っていますか。5回目に書いたようにあなたの思うような生活や行動をしていないことを「困った」にしていないでしょうか。
中には、住民の「困った」もしくは「将来、困るであろう」ことを、自分の“困った”に置きかえてしまう人がいます。良くない状況を正しくしてあげるのが私の役割だという思いこみです。しかし、本当にそうでしょうか。保健師は住民を何とかしてあげる存在ではなく、住民が自分で選択できるように助ける、応援する存在だと思います。
住民が人生の選択の一つとして健康行動を選ぶことができれば、その行動の責任は選んだ本人自身のものです。人の行動は、どんなにまわりが言っても、どんなに家族が尽くしても、本人の意識が変わらなければ、何も変えることができないのです。他人と自分を切り離して考えることです。
「困った」と思ったときには、「私にとって何が問題なの?」と、自分自身に問いかけてみてください。住民の方の問題は、住民の方自身が解決していくしかないのです。もちろん、保健師のあなたは、住民の方が解決していく方法を探すお手伝いはできます。
この関係は、親子にも見られます。「いつも、息子が忘れ物をして困る」というケースです。「息子が忘れ物をして困っているはず」が本当で、その後に、「息子が困っているから、わたしも困る」ということばは、「困った」のすり替えです。本当は、「担任の先生に、『お宅の子どもさんの忘れ物が多いですよ』と、母親がちゃんとしていないように思われると困る」という気持ちがあるのかも知れませんね。
いろんな住民を相手にする保健師だからこそ、相手の「困った」に寄り添いつつも、巻き込まれず、整理していくことで、あなた自身はどんな人のお手伝いもできる、サポーターになれる可能性が広がります。