保健師のビタミン

家庭基盤と絆

第2話人生いろいろ 分娩いろいろ

前回は、胎縁について書きました。
 女性の姿で一番美しいのは妊婦姿だと聞いた事がありますが、それはきっとお腹に宿った自分の分身を大切に想う心が顔を菩薩のような表情にしているからではないでしょうか。

菩薩と書きながら「産」という字が隠されていることに今、ハッ!となりながら今回は、僭越ながら自分の分娩の事を書いてみたいと思います。

私が長男を妊娠したのは24歳の時で、妊娠した時からひどいつわりに苦しみ2週間で10Kg体重が減りました。

水を飲んでも吐き、何も吐くものがなくなり、とうとう黄色の胃液まで嘔吐する重症の妊娠初期のつわりで始まり、やっとつわりが治まって普通に食事がとれるようになったのは臨月になってからでした。

その反動で焼肉を食べた出産予定日まであと3週間というある日、夜中に激しい腹痛と背部痛で急患で診察を受けたら胆石があることが判明し、油抜きの食事制限で入院となりました。

妊娠後期は、何度も少しずつ何か食べたくなる時期です。しかし、薬も痛み止めも使えない妊婦の私にできる治療は、再び胆石の発作が来ないように食事内容を工夫する事しかなく、毎回、豆腐と山盛りのキャベツの千切りと、少しの果物という日々が続きました。

体重は臨月なのに妊娠前と変わらない状態になっていて、赤ちゃんが無事に育っているかどうか心配なまま、いよいよ分娩の日を迎えました。

当時、私が出産したのは国立病院でしたので、分娩室には二台の分娩台がありました。

私が分娩室に入った時には、ついたて1枚隔てた隣の分娩台に、すでに「ギャー!!お母さん痛いよー!!主人に来てもらってー!!」「助けてー!!」と大声で陣痛と闘う人がいて、圧倒された私は、痛くても歯をくいしばって耐えました。

そもそも男前な性格な私は、分娩を女の戦場と考えていましたので、立ち会い出産とか主人に手を握ってもらうとかは絶対に嫌だと考えていたので、痛くて強烈な陣痛の波がきても、声を出さずにいたのです。

それを見ていた助産師さんが、「柴田さん、痛かったら声を出してもいいんですよ。(後は小声で)隣がうるさいから大変やね。お母さんが大声出して産んだ子どもは、やっぱりやかましい子になるらしいよ」とラジオをかけてくださいました。

その時に流れていた「贈る言葉」と共に2658グラムの豆腐栄養で細いながらも元気で、大寒の日にふさわしい雪のように美しい長男が誕生し、私の闘いは終わりました。

翌日、授乳室で出目金みたいに、目をバンバンに腫らした知らない人が「柴田さんですか?私も昨日出産したんです。(この人だったか。。)あんまり静かなお産だったんで私驚いて…」と声をかけてきました。

「驚いたのは私だよ」と思いましたが意外にも赤ちゃんは静かな女の子でした。

お母さんが叫んで産もうが、静かに産もうが性格は関係ないのかな?
 ただその夜、出目金母さんにはうなぎ丼とステーキが、私には卵豆腐が。
 同じ陣痛に耐えても、私は胆石を産んでいませんでした。

その方とは23年を経ても年賀状のやりとりは続いていますが、
 「娘さんは、やかましいですか?」
 とは未だ聞けずにいます。
 胆石は、その後手術して完治しました。

分娩の型も時代と共に進歩しいろいろで、それに対してさらにいろんな考え方がありますが、自分らしく産むことが一番いいと思います。

~今日の花華綴り~
  「大きな声で産んでも小さな声で産んでも、母親の愛情の大きさは皆同じ」

著者
柴田花華
チャイルドケアコンサルタント。
モンテッソーリ幼児教育指導者、医療心理科講師を経て民生委員、児童委員民連会、教育委員会、青少年育成委員会等で講演家として活躍中。
障害児の母親を心理的に支える「赤い口紅運動」を主宰。新聞・ラジオなどのメディアで多数取り上げられる。日本禁煙医師歯科医師連盟会員。2003年5月5日の子どもの日にオフィスあんふぁんすを設立。同時に「赤い口紅運動」開始。

保健師のビタミン 著者別一覧へ

ページトップへ