家庭基盤と絆
第4話人格形成上に最も重要な幼児期
すでに読者の皆様は、私が胎児期から順を追って母親や周囲が大切に考えるべきことを書かせていただいているとご理解くださっていると思いますが、今回はいつにも増して「力(りき)」を入れて、「これこそが人生の基盤である!!」くらいの勢いで述べたいと思います。
現代の社会は、高度技術化・情報化された社会情勢の影響によって、親子の絆や地域のネットワークが弱体化したと言われており、その中で育っている子どもたちの実態は、まさに危機的な状況にあると言えるでしょう。
人間の一生は幼児期の間に芽生えたさまざまな感情が人格づくりの要因となっています。
今日、新たに多方面から「幼児期」の位置付けを見つめ直していく必要性を感じています。
子ども本来の姿とは何でしょう? パクパク食べる、ぐっすり眠る、わんわん泣く、ゲラゲラ笑う、思いっきり遊ぶ、けんかをする…
というように懸命に自分を輝かせながら、今を生きる姿ではないでしょうか?
絶望の時代であっても、子どもこそ希望の光でなくてはならないのです。
先日、久しぶりにというか何年かぶりに下町の小さな銭湯に行きました。今はやりのスーパー銭湯ではなく、大きな湯船にかけ湯スペースがあり、洗い場には、何とか商店の名前が書かれているけれども、はげてしまって何が書いているのか分からない鏡が一枚ずつ張り付けてあるだけ。お湯は地獄の釜かと思うほどやたらに熱い風呂屋です。
番台には、存在が見えないくらいに小さなおばあちゃんが座っていましたが、380円で洗髪代が込みというのには感動しました。私が小さいころは、洗髪代が20円余分に必要だったので、洗っても分からないように、ごまかすのに必死だった悪い子ども時代から思うと、良心的だと思いました。
白いゴムのついた鍵のロッカーがある懐かしい脱衣場で服を脱いでいると、風呂場から知らないオバチャン(私もオバチャンかな?)が出てきて、「こんばんは!! お先」と挨拶してくれました。
私はこの瞬間に昭和にタイムスリップして、泣くほどの感動を覚えました。しかも浴室の入り口には、すばらしい達筆でこんな言葉が掲げられていました。
「銭湯すたれば、人情すたる。銭湯がなくなれば誰が子どもを躾けていくのか」と。
私は、この言葉に体が震えるほど感動し、思わず写メールを撮ったほどです。
銭湯には、暗黙のルールがあります。おチンチンに必ずかけ湯するとか、湯船でタオルは使わないとか、座ったイスはきれいに片付けておくとか。
私が小学生のころの銭湯には脱衣場で赤ちゃんの面倒をみてくれるおばあちゃんがいて、お母さんはゆっくりとお湯に入ることができていました。
また、銭湯での会話は、話題の宝庫で体に良いこととか、どこの店が安いとかにぎやかでした。
それに、若いお母さんが子どもの湿疹に悩んでいても「そんなん胎毒や!! 心配ないわ!! ごしごしこすらなくても、そのうちきれいになるわ」と教えてくれる世話焼きオバチャンの言葉で新米母親は助かっていたと思います。
そんな裸の触れ合いがなくなって、育児ノイローゼや虐待が増加したのかもしれません。
その銭湯では毎月12日を「育児の日」として幼児を持つお母さんに開放していいるので、今度どれくらいの人が利用しているか聞いてみたいと思います。
日本は昭和34年に都市人口が農村人口を上回り、その後、高度経済成長期に入っていき、団地が次々と建ち、内湯になりましたが、ちょうどそのころから子どものアレルギーが増加したとも言われています。
社会や近隣で子どもを育てていた古き良き時代に戻りたいと思いながら、地獄の釜でゆで豚になりました。悲しい事に欲室内は私ひとりの貸切りでした。
次回は子どもの遊びについて綴りたいと思います。
~今日の花華綴り~
「本気で叱ってくれる大人がいる子どもは、本気で人生を生き抜く力が備わっていく」