保健師のビタミン

家庭基盤と絆

第10話心の灯台~帰る道標~

早いもので「子育て支援」というテーマで連載が始まってから、今回が最終話になります。その間、季節は移ろい、わが家の前の桜は今、満開です。桜の花ほど多くの人々から咲くことを待ちこがれられる花はありません。

昨日も、お年寄りから保育園児まで、たくさんの人々が表情を穏やかにして桜を見上げていました。こういう情景が日本人に生まれて良かったなあと思うときでもあります。

元気でいればこそ、こうして四季を楽しむことにささやかな幸せがあると思います。

病気でベッドの上で寝ている方が一日も早く回復して、季節を肌で感じていただきたいと願わずにはいられません。なぜならば四季は、どの人にも平等に訪れるからです。

桜といえば昨年、東京の上野公園の桜が満開のころ、私はある卒業生と再会を果たしました。彼は学生のころ、大阪の学校で一生懸命児童福祉を学び、スポーツにすぐれていて成績も良く、周囲からの人望もとても厚く、私の自慢の教え子の一人でした。

卒業してからは、スポーツクラブで子どもたちに水泳を教える傍ら、海難救助のボランティアもしているという、いかにも彼らしい人生の選択でした。

そんなある日、思いがけない一通の手紙が私の元に届きました。それは、自慢の教え子からの長い長い手紙でした。

上京してしばらくたったある朝、寝不足が続き疲労が蓄積していたため、通勤途中の駅の階段で貧血を起こし、階段の上から下まで転落し、気がついたときには病室で、意識はしっかりしていたものの、命とひきかえに下半身の機能が麻痺していて歩けない体になっていたそうです。

それから何ヶ月かのリハビリと心の立て直しに時間を要し、私宛の手紙となりました。私はすぐに彼に返事をし、折から上京する予定もありましたので、私の宿泊ホテルのロビーで久々に再会を約束しました。

私は、彼の手紙で事実を知ったとき、かわいそうで、かわいそうで一晩泣きあかしました。「どうして、あんなにいい子がそんなにひどい目にあわなければならないのか」と、普段は信心深い私ですが、世の中には神も仏もないのかと万物を呪いたい衝動にかられました。

そして当日、やっぱり学生のころと変わらないすばらしい満面の笑みで「花華先生!!」と、彼が「車イス」でやってきました。その事実を目の前で見た私は、絶対に笑顔で再会しようと決めていたのに、無言で彼の背中に抱きついてしまいました。

普段、「言葉は言霊だから、心をこめて話をするように」とうるさいほど、言葉を大切にしている私なのに、何も言えなかったんです。

一緒に歩きながら帰った道や、私の弾くピアノに合わせて創作ダンスをしていたころの彼の姿が走馬灯のようによぎりました。

そんな私に「先生、今、メチャクチャ桜きれいですよ。俺、こんなんでも運転できますから、桜見に行きませんか」とドライブに誘ってくれて、途中、こんな言葉が彼の口から出てきました。

「先生、俺、自分が障害者になって、足が動かない、一生車イスだと医者に言われたとき、『ああ俺はもう自分で死ぬことさえできない体になったんやなあ、元気な体で産んでくれたお袋に悪いことしたなあ』って思ったんですが、生きてるんやから、きっと俺にもできることがあると思ったんです。」

「何より自分のことを何人もの人が、心配してくれていることがわかったことがすごく嬉しかったし、ケガをしてなかったら、わからなかったことや見えなかった人の気持ちが見えるようになったんです」と、彼は堂々とした顔で私に語りました。

「生きていれば、先生とこうして桜も見ることができたし……。先生、神戸から会いに来てくれたし」って本当にうれしそうに言うんです。こんな言葉を言えるまで、どれだけの苦しみのプロセスを越えてきたんだろうかと私は、胸がいっぱいでした。

卒業しても、いろんな人生があるんだと実感した瞬間でした。そして、教え子たちが、幾つになっても、苦しいことに出会ったら、私の元へ帰って来ることができるように、私はいつも消えることのない温かい灯台の光のような道標として輝いていてあげよう、と思いました。

私の連載は、多くの保健師さんや医療関係者の方々が、お読みくださったことと思います。いつ、自分が、または家族が病気や障害に見舞われるかも分からないのが人生です。こんな殺伐とした時代では、なおさら、心の灯びが求められていると思います。

人々にエネルギーを与える仕事は自分もエネルギーの補給が必要です。時には、ゆっくりと休み、そして季節を感じてください。専門職であるが故のご苦労も日々、数多くあることと思いますが、自分の笑顔の灯り(あかり)に、多くの人が癒やされるようにと美しい笑顔を保ち続けてください。

つたない文章で、私事も多く綴りましたが、最後までお読みくださったすべての皆さまに御礼を申し上げます。そして日本の保健師の活動が世界一であるよう願っております。

最後に、私は自分のこだわりのために手書きをお願いしたため、担当者は毎回原稿を入力しなければなりませんでしたが文句ひとつ言わず、また編集長をはじめ編集部の方の温かい応援で、一度も執筆を大変だと思うことなく最終回を迎えられたことに厚く感謝申し上げます。毎回、感想をくださった皆さまにもこの場をお借りして御礼申し上げます。

最後に、車イスの教え子は、以前から付き合っていた彼女と今年中に結婚することが決まったそうです。希望の灯りを消さずにいたからこそ、よき理解者を得ることができたんだと嬉しいご報告で最終話を締めくります。
 ありがとうございました。

~今回の花華綴り~
 「どんなに荒れた航海で傷んだ船も灯台の光を頼りに帰港する。人生もかくありたい」

著者
柴田花華
チャイルドケアコンサルタント。
モンテッソーリ幼児教育指導者、医療心理科講師を経て民生委員、児童委員民連会、教育委員会、青少年育成委員会等で講演家として活躍中。
障害児の母親を心理的に支える「赤い口紅運動」を主宰。新聞・ラジオなどのメディアで多数取り上げられる。日本禁煙医師歯科医師連盟会員。2003年5月5日の子どもの日にオフィスあんふぁんすを設立。同時に「赤い口紅運動」開始。

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