保健師のビタミン

風雪人生

第7話冬籠り(ふゆごもり)

人が産まれてくる瞬間は、母親も赤ちゃんも最大の力をふりしぼって一人の命を誕生させます。自然も同じです。

本格的な冬を前に、風雪に備えての「冬仕度」、防雪のための「雪囲い」、海岸沿いでは風を除ける為の、「目貼り」をして、本格的な冬将軍がやってくる前に冬仕度をするのです。

必ず春の次は夏、秋、冬と順番が狂うことなく繰り返されるので、暑いときには涼しくする工夫や、寒さには食材を蓄えるなど様々な知恵をしぼって厳しい自然と向きあって、人々は生きてきました。ひとりの力でどうしようもない時は、村全体や家族が一丸となって厳しい自然を受け入れる準備をしてきました。

ただ、生きていく上で、ある日突然にふりかかる出来事や、苦悩は心の準備ができていないので、戸惑い、苦しみがきます。その出来事が人生の一大事であれば、尚さら、慌てふためき、苦しみもがきます。

遠い古(いにしえ)の記憶ですが、私が9歳を迎えた春の朝、起きたら、急に昨夜までいた父と弟がいなくなっていました。驚いて理由を母にたずねると、「もうふたりは、二度とかえってこない。離婚したから」と、なぜか私にぶつけるように母は答えました。子どもだから何も相談しなくてもいいと判断したのかもしれませんし、両親に何があったかも知りませんが、この結末は、あまりにも残酷でした。

私は4歳年下のたった一人の弟が大好きでした。普段は、滅多に家に戻らない父親と、宗教に頼って勤行ばっかり一日中行っている母親の狭間で、小さな姉弟は、いつも一緒に遊んでいました。

忘れられないシーンがあります。私の小学校の前で、かわいらしいヒヨコが売られていて(当時、なぜか校門前にヒヨコ売りのおじさんが下校時をねらって出没し、段ボールにそれはそれは子ども心をつかんで離さない、ピヨピヨと泣く可愛らしいヒヨコを満載して、子どもでも買えるような値段で売っていました)、生き物が大好きな私は、大急ぎで帰って、おじさんがまだ居てくれる事を祈りながら、おこづかいをつかんで走って学校に戻ると、その微妙な子ども心を計算しつくしたヒヨコ売りのおじさんは、「待ってました!!」と言わんばかりに、箱の中から「一番元気そうな子を選んであげるからね―」と恩着せがましい事を言いながら、(でも、ほとんど2日間程で死ぬという事を大人になってから知った)一羽の、かわいらしさの中になぜか哀愁の瞳をしたヒヨコを小さな紙箱に入れて、「大事にしたってな」と私に手渡した。

私は早く弟に見せたくて、ヒヨコを両手で大事に落とさないように全力で走って帰りました。家の前には、小さなブランコが設置されていて、たいていは、弟は、いつもそのブランコに座っていました。その日も、弟は案の定ブランコに座っていました。

弟は、私が何か箱を持っているのを目ざとく見つけて、ブランコから急いで私の元にかけ寄ってきた。私はだまって箱を開けた。中では私達姉弟と同じ目をした小さなヒヨコが「ピヨピヨ」と心細げに鳴いていた。そのヒヨコを見た弟は、「ワアッ!」と歓声の声を上げた。そうっと箱から出して弟の手の平に乗せると、4歳の小さな手の平から、生まれたばかりの、やわらかでやさしい羽毛がフワッとふくれた。温かさに安心したのかヒヨコは目もつむった。

その時の弟の嬉しそうな顔は、今でも私の脳裏にやきついている。二軒隣に住む、世話やきのおばちゃんに、ヒヨコは何を食べるのかを早速ふたりで聞きにいくと、ヒエか何かわからない茶色の粉をくれて、「これを少しだけ水で溶かして少しずつあげたらいい」と教えてくれました。そんな時も母は勤行を唱えていて、ヒヨコを少しも見る事はなく「家の中に入れたらあかんで」と恐ろしい顔をして言いました。

玄関の隅で、小さな段ボールにタオルを敷いて、その中でヒヨコは、あまり動くこともなく小さな命を生きていました。その小さな命を見つめる私達姉弟もまた、小さな命でしたが、飽きる事なくずっと二人、しゃがんで見つめて、幸せな気分でした。

でも、その幸せは二日間しか持ちませんでした。元々、弱いからか、世話やきおばさんのエサの指導が悪かったのか、私達が朝起きた時には、目を閉じて足をそろえて、ヒヨコは死んでいました。私はその日、学校を休みました。弟とふたりで、交代で、ヒヨコの亡きがらを手の平に包み、いつまでも弟とふたりで泣きました。

今こうしてこの原稿を書いていても、その時の情景が走馬灯のように浮かび、もう40年近くも前の事なのに涙が幾筋もつたってくる位、私達姉弟は愛に飢えていました。私は今でも生き物好きで、猫や金魚や、くわがたを飼育するのが好きです。自分と一緒に何かが生きている実感が今だに欲しいのかもしれません。

そんな心やさしい小さな弟が、ある朝、忽然に父と共に姿を消したショックは、文字には表せません。母がタバコを吸っている姿は、その時に初めて見ました。私がタバコを憎んでいるのは、その時の心理の影響だと思います。

人間の生涯の中には、私のように突然の家族離散や、病気、倒産、借金、事故、天災、思いも寄らぬ不幸が突然襲いかかります。でも中には、心の準備ができる物事もあります。その為には、辛くともその時期を乗り越えれば、必ず春が来ると信じる事が大切です。

冬籠りは、別名「冬木成」という字もあてています。潜むとか隠れるとか、「冬籠り」には暗いイメージを受けますが、物忌の状態から抜け出すことを「はる」と言った事や、草花が春には芽を出し花を咲かせて「発る(はる)」の状態になる事を考えると、冬籠りの時期こそが、希望の春を待つ我慢の時と解釈する方がふさわしく、温かい気持ちになれるような気がします。

弟とは、もう会う事はないし、今は、ヒヨコ売りのおじさんもいませんが、小さな手の平が大切に抱えていた小さな命は、我々幼い姉弟の心に生き続けていくことでしょう。

春を待つ我慢の時にも、信じる支えがあれば、冬籠りも又、楽しみに変える事ができるかもしれません。

~今日の花華綴り~
「春を待つ心は、人間も植物も動物も皆同じ。大変な冬の後に来る春は一段と温かい」

著者
柴田花華
チャイルドケアコンサルタント。
モンテッソーリ幼児教育指導者、医療心理科講師を経て民生委員、児童委員民連会、教育委員会、青少年育成委員会等で講演家や大阪医療技術学園専門学校ー児童福祉学科講師として活躍中。
障害児の母親を心理的に支える「赤い口紅運動」を主宰。新聞・ラジオなどのメディアで多数取り上げられる。日本禁煙医師歯科医師連盟会員。2003年5月5日の子どもの日にオフィスあんふぁんすを設立。同時に「赤い口紅運動」開始。

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