風雪人生
第9話萌し(きざし)
「きざし」の本来の意味は、芽生え・萌え出ることで、何かが始まりそうな様子や物事が起こりそうな気配をいいます。
寒い冬を耐え、動物や植物が活動を始めるように、人生にも1番暗い夜明けを越えれば明るい朝が来る。私は、自分にも「夜明け前が1番暗い」と言い聞かせて、辛い時期を乗り越えてきました。
ただ、その渦中にある時は、いつまでも夜が明けることがない、長い長い出口のない道を下を向いて歩いているような気がするものです。でも、顔を上げた時に少しでも光が見えたら、歩く足にも力が入り、ゴールを目指す事ができます。ゴールにたどり着いた時に感動の涙が流せる人は、そこまでの道のりを苦労してきた人にのみ与えられる感動であり、栄光です。
今年も、全国高校野球大会の地区予選が各地で始まりました。息子の通う県立高校も、3回戦で涙をのみました。息子は兄と友人と、うだる暑さの中でスタンドから応援しました。
途中、他のクラブ活動を終えたクラスメート達が休憩もしないで自転車をかっ飛ばし「今どうなってる?」と、何人もが応援にかけつけたそうです。特に息子と同じ3年生は今夏で引退ですから最後の甲子園出場の望みをかけた試合。選手は勿論のこと応援する方も必死です。まさに、皆の心が一丸となった時間と言えるでしょう。しかし、惜しくも息子の学校は負けてしまいました。スタンドに向かって一礼をした選手一同の顔は、涙でぐしゃぐしゃだったそうです。
17歳といえば遊びたい盛りなのに、早朝練習から休日も無く練習にあけくれ、オシャレもしたい年頃でも丸坊主(私は1番オシャレだと思う)で、先輩・後輩の厳しい上下関係やグランド整備や玉拾いなど、さぞかし辛い時期があったことでしょう。でも、それこそが『青春』であり、人生の萌しなのです。仲間と築いた信頼や歯をくいしばって耐えた練習は、今後の社会での種まきになると思います。
イチロー選手は、今や日本人の誇りですが、あのイチローでさえ、今だに誰より早く球場入りして、柔軟や素振りなどの練習をひとりで黙々と行っているそうです。私の妹は、かつてイチロー選手がオリックスに在籍していた頃、チームのマスコットガールの仕事に就いていた時がありましたが、その頃から寡黙で、とてもこちらから話し掛ける事が出来る人ではなかったと言っていました。
全日本女子バレーボールチームの竹下佳江選手は世界最小セッター(159cm)と呼ばれ、同じチームの高橋みゆき選手は世界最小アタッカー(170cm)と呼ばれていますが、この小さなコンビが今の全日本を支えている陰には、二人にしかわからない努力があります。身長を無理やり伸ばす事はできないので、考えた挙句に「スピード」で勝負することにたどりつきました。
セッターがボールをトスして、アタッカーが打つまでの平均はアメリカチームで1.4秒。それを日本の最小コンビは、猛練習で0.83秒まで縮める事に成功しました。すぐれた動体視力も天性に備わっていた事もあり二人の名コンビが出来上がったそうです。テレビで応援している我々には、選手の普段の努力は解かりません。ですが、成功の陰には必ず、本人にしかわからない苦しい時期や、苦難があったと思います。
普段は、冷静でにこやかな竹下選手でさえ、「死んでしまいたい時があった」と、インタビューで答えていました。これはスポーツ選手だけではなく、全ての人に言える事だと思いますが、努力なくして栄光は無いし、その時直ぐには実らないようでも、いつか蒔いた種は芽を出すのです。
下を向いていないで、顔を上げて前を向いたら、意外にも出口はすぐそこまで来ているかもしれません。
このコラムの連載も後1話を残すのみになりました。自分の知らない方が、また保健師の方が私のコラムをお読みになり、少しでも心の活性に繋がれば有り難いです。
「萌し」は「兆し」とも言いますが、命あるものの活動のきざしは「萌し」という言葉の方が良い予感がします。気配は「気配り」とも読めます。繊細な「萌し」を受け止るには、細やかな『気くばり』が必要なのかもしれません。
春が来たら、忘れがちな去る季節にも、お礼の気持ちを言える自分でありたいと思います。息子の学校が負けたとき相手チームの応援席から、今後の益々の健闘を祈ってとエールがあり、息子の学校もエールを送り、次の試合にも勝つようにとの願いを込めたエール交換だったそうです。
人々が、エール交換しながら繋ぎあえたら、温かい社会になるのになあと、小豆色に日焼けした息子達を見ていて思いました。
~今日の花華綴り~
「人生の苦難峠も、二人で越えれば必ず越えられる」