映画にみる保健活動のヒント
第3話愛情と少しのお金?
先週の"ふだんの、くらしの、しあわせ"?の続きですが…
ふだんって、普段の日常、1年365日のことですよね。でも毎日楽しいだけの日々が続くなんて思えません。身近で親しい人が亡くなった日や失恋のとき、病気や事故にあったときは不幸です。人の自然死や失恋は福祉国家といえども救えませんし、また介入されてもねぇ…。
だから失恋や肉親の死に耐えられる強さや、ストーカーにならないために、人間関係を見極め断念する勇気も必要ですね。
じゃ、0歳からどう育てたらよいか、が子育て支援ですね。
次は、くらしです。暮らしですから日々生活することです。じゃ「生活って何だ?」って聞かれると、どぎまぎしちゃいます。読んだり聞いたりして調べてみますと、「生産」と「消費」をするということのようです。
成人に達したらマルクスに言われなくても働くべきでしょう。
なぜ働かなければならないかといえば、
- 自立した人として自ら生活手段を得ること
- 他者に必要とされる生産物やサービスを提供する一端を担うこと
- 一定の役割を担うことで社会とつながるということ
という意味だそうですが、どう思われますか?
つまり、働いて対価を得なければ、自立生活者とはいえないようです。ですから、引きこもらないように、人間が好きで信じられるように育てないと長じて本人が働けませんよね。
今、親の経済力がその状態を支えているようですが、昨今の不況で今後はどうでしょう…
さて、どん尻はしあわせです。「しあわせ(仕合わせ)」とは、もともと「めぐりあわせ」と同じような言葉だったそうです。「しあわせが良い、悪い」という使われ方をしていたといいます。それが「良いしあわせ」の意味が定着して「幸せ」が当て字にされて、「幸福」という、ある心的状態を表す言葉になったようです。
詩人の楠本謙吉の戯れ歌に
「しあわせは背に床柱 前に酒 左右に女 ふところに金」
というのがあります。
判りやすいしあわせだなぁ、と思いましたが、
―今の今だけですよ、しあわせなのは、ほんの一瞬です―
という意味も隠されているようで、奥深く寂しい歌かもですねぇ。
『キッド』『街の灯』『モダンタイムズ』『チャップリンの独裁者』の、あのチャップリンは「生きていくには愛情と少しのお金が必要」と言い残しました。さて、あなたにとっての幸せってなんですか?