映画にみる保健活動のヒント
第5話視覚障害の人
江戸時代は天保の頃(1830-43年)、目の見えない居合いの達人がいました。
博打が強く酒が好きなら女も好き、揉み治療を生業にした義理人情に厚い侠客というのが、子母沢寛が随筆「ふところ手帳」に書いた、ご存知座頭市のキャラクターでした。
今時の方は『座頭市』といえば北野武監督の作品を思い浮かべるでしょうが、私の世代は勝新太郎です。今を去ること20年前の平成元年、勝新太郎製作・監督・脚色・主演の『座頭市』が26作目(遺作)として久々に封切られました。
ストーリーはよくある話で、ある宿場町の賭場で稼いだ市は、その町を牛耳る悪い一家から命を狙われ続けます。そんな道中で市は一人の浪人(緒形拳)と知り合い、お互いに心を許し合います。そして――
この作品には、前記「座頭市」の性格が、すべて入っている上に、市の目の見えない悲しさが滲み出ています。脚本風に紹介します――
市と浪人が秋の山道を歩いています。絵心のある浪人は、下駄を脱いて歯を重ね合わせると、その矩形の空間から構図を決めるように景色を覗きます。
浪人
「やー、いろいろな色があるなぁー」
市
「赤ぁ、ありますか?」
浪人
「あるある、いろんな赤がある。赤ぁ好きか…」
市は少し照れたように…
市
「ええ…どんな、色です…」
予想外の質問に、浪人は市に振り向き…戸惑いながら真顔になって、
浪人
「夕日…、女の唇…、人間の血…」
場面転換して、数日後、宿場で再会した市と酒を酌み交わしながら浪人は「あれからずっと色のことを考えていた。お前にどうやって知らせたらいいか…音で分からせるか。匂いか。さわって分らせるか」と話を切り出します。
この浪人は、市に赤い色を伝えるためにどうしたらよいか、真剣に考えながら旅をします。目の見えない人と、こんなに意思の疎通を図ろうとする福祉関係者がどれだけいるでしょうか。
私たちは映像を楽しみながら、主人公に感情移入して視覚障害者の生活を間接体験していきます。人は感動した時生き方を反省します。遊びのもつ力です。