映画にみる保健活動のヒント
第7話かけがえのない時
「死んだ人って見たことある?」「死んだ人のことばっかり考えてしまう」「死体見てえなぁ」という、死についての興味に取りつかれた3人の小学6年生は、死にそうと噂されている町はずれに住む変わり者のおじいさんを見張って、その死ぬところを見ることにします。
スティーヴン・キング原作、ロブ・ライナー監督『スタンド・バイ・ミー』(86年・米)を彷彿とさせる出だしですが、相米慎二監督『夏の庭-The Friends-』(原作:湯本香樹実、94年・日本)です。
さて、夏休みになって、彼らは当番制で「観察」に入ります。おじいさんを塀越しに覗いていたある日、3人はいじめっ子たちに泥棒と見咎められ、小突きまわされそうになります。
その時、家の中から「早く入ってこい来い」と声が掛かります。助けられた3人とおじいさんは打ち解け、少年たちはおじいさん(喜八-三國連太郎)のゴミ出し、草むしり、洗濯用物干し作りなど、手伝いと交流が始まります。
夏の嵐の夜、喜八を心配して集まった3人は、喜八が結婚していたこと。戦地で間違って女の人を射殺してしまい、自分は幸せになってはいけないと思い、復員後も奥さん(弥生-淡島千景)のもとに帰っていない、という話を聞きます。
3人は喜八と奥さんを再会させようとして奔走します、民生委員も顔負けの行動です。ついに3人は老人ホームにいる弥生を探し当てますが、彼女はボケています。その部屋には彼らの担任の静香先生がいて、先生は弥生の孫娘だったのです。
おりしも…そんな時に喜八が老衰で死にます。身寄りなく役所の死体安置所に横たわる喜八、立会は少年3人。そこへ静香に連れられた弥生が入って来ます。
喜八を見とめた弥生はコンクリの床に正座すると両手を付き「長い間お疲れ様でした」と深く頭を垂れます。そこに子どもたちの号泣の声がかぶさりエンディングとなります。
子どもたちはフィールドワークを実践したのです。老人の生活する場(field)に赴いてデータを取った(work)のですから。関与なしの参与なしタイプの全体的な観察から始まり、その生活に深く関わってしまう完全な参与に転じ、やがて地域福祉の実践者になったのです。
子どもたちは、死体への興味から始まりましたが、喜八の人生に接しその死を心から惜しんで泣ける子どもに成長しました。異年齢との交流事業は、この心が根底にないと"仏造って魂入れず"になります。