映画にみる保健活動のヒント
第9話義を見てせざるは…
クレジットタイトルが左右斜めにオーバーラップ。太鼓が不協和音を孕みながら低く重く響く。『 戦国時代-あいつぐ戦乱と その戦乱が 生み出した 野武士の横行 ひづめの轟が 良民の 恐怖の的だった-その頃 』と、太い毛筆のタイトル。夜明けの丘陵を疾駆する野武士の騎馬集団がシルエットで現われ、ひづめの轟音と共に走り去る。
昭和29(1954)年、黒澤明監督『七人の侍』の冒頭です。現在でも、世界の映画人により史上ベストワンに推される映画の教典です。
麦の刈入れが終る頃、野武士が村を襲うことがわかった農民たちは、侍を傭って村を守ることにしました。前半は、侍探しの面白さです。条件は、知行や恩賞に全く縁がない仕事で、その間腹一杯めしが食える、というだけ。
農民の代表三人は、道中で人質になった幼児を救う智勇を備えた歴戦の侍「勘兵衛」に出会います。この勘兵衛が、剣の腕を見極めながら必要な人数を募っていくのですが、七人の侍たちのそれぞれのキャラクターと、一人ずつ仲間になっていくプロセスが絶妙で、自分が良い友を次々と得ていくような高揚感があります。
後半は、村人の侍への不安・不信感とその払拭を経て、刈入れが終わるまでに村の防衛体勢を整えることを軸に展開します。
勘兵衛は農民に竹やりを持たせ、刈入れの終わった田に水を引き、野武士を数人ずつ討つことにしました。農民と侍の連合軍VS野武士の闘いが始まり…野武士は全滅しますが、農民も犠牲を出し、侍も四人が死にます。
さて、侍は農民の苦難・困窮を聴き、知行や恩賞のためでなく、自分たちの得意技(戦闘能力)をもって彼らを援助することにしました。孔子の教え「義を見てせざるは勇無きなり」の実践でした。
ボランティアの語源は義勇兵です。つまり、「赤穂浪士」も「勤王の志士」もボランティアだったと私は考えます。今では、自発的に奉仕活動を行う志の篤い人の意味です。ですから『七人の侍』はボランティアの映画です。腹一杯めしが食えるので、有償ボラかもしれませんが…
おまけにグループワークの内容を含んでいます。見ず知らずの人たちが知り合って、その個性故に葛藤しながら、各々の長所が生かされて目的を達成する。
タイトルに配役が斜め斜めにかぶさる構図は、不気味な物語を暗示すると共に、一人ひとりが個としてバラバラにスタートする人間社会の不安定さの表現だと、私は解釈しています。