多世代社会のあそびの力、おもちゃの力
第9話子どもにとっての良き共鳴者
小学校の一・二年生の理科と社会がなくなり、「生活科」が登場して久しいが、この新科目に当初から「遊び」が柱の一つに加えられていた。
「一週間もかかって、生活科の授業案を考えました。紙コップや牛乳パックを使って手作りおもちゃを作って、楽しく遊ぶ授業は特に自信作でした」と述べてくれたのは、研修会で出会った一年生の担任を持つ教師だった。しかし、数ヶ月後にその授業案も自信から失望に変わってしまったとのことだ。
授業で子どもたちは、わりと楽しそうに取り組んでいたので、自分自身でも、この遊びの単元には手ごたえを感じたらしい。しかし、チャイムがなったとたん、子どもたちから「休み時間になったから、もう遊んでもいいでしょ」と言われ、がっかりしたという。
遊ばせていると思い込んでいた教師と、遊んであげていたという生徒がいたわけだ。学校という枠組みでは括れない「遊びの世界」が子どもたちには溢れている。
保育士と話題になるのも、子どもたちの数々の遊びの天才ぶりだ。「見立て遊びの天才」、「繰り返し遊びを楽しむ天才」など並びたてれば切りがないが、子どもたちの「聞きたがりの天才」ぶりも、豊かな遊び心からくるものだ。
そう、子どもは聞きたがり屋である。問いかけの達人といってもよい。「なぜ?、なんで?」「どうして?、どうしてなの?」とマシンガンのように質問を浴びせてくる。保育園や幼稚園の新人保育者は、一つ一つの質問を真摯な姿勢で受け止め過ぎて疲れ果ててしまうことも多いと聞く。
「どうしてお山は火を吹くの?」といったような質問に対して、子どもに分かりやすいように真実を伝えることは至難の技だ。百科事典やインタ-ネットを駆使して調べあげていたら体が持たない。
ところが、ベテラン保母となると話は違ってくる。「本当ね。ときどきお山の頭のてっぺんから真っ赤な火を吹きあげているわね。本当に不思議ね」「先生、思うんだけどね、お山もときどき怒るのよ。それとも、熱が上がってフ-フ-いって苦しいのかもしれないわね。」などと上手に対応する。
よく考えると全然質問には答えていないわけだが、子どもの皮膚に響くコミュニケ-ションをしている点では立派なものだ。
かつて、アメリカの発達心理学者が、子どもの周りには最低一人以上、子どもと一緒に感動や疑問を共有できる大人が必要だと言っていたことがあった。
要するに、聞きたがり屋に対しては、「良き解答者」よりも「良き共鳴者」が大切であると解釈してもよいだろう。子どものワクワク、ドキドキをかたわらで共鳴できる協力者が必要なわけだ。
遊びとは子どもたちにとってかけがえのないものである。大人の打算や思惑によって安易に削り取ってはならないものであり、「生きる力」を育む最善、最良の方法論だ。
だから、聞きたがり屋が寡黙になったときは、良き共鳴者である大人たちは要注意しなくてはならない。